昭和のプロレスを熱く語る!
私はCS放送導入のおかげで忘れかけていた「プロレス」の醍醐味を改めて感じ取っています。
CS放送で全日本プロレスならびに新日本プロレスのかつての名勝負を毎週、放送してくれるので思いっきり熱中していた70年代、80年代の記憶が呼び覚まされたわけです。
参考:昭和のプロレス番組が見れるCS放送「テレ朝チャンネル2」「日テレジータス」
今回は総括としての「昭和のプロレス」について書いていきたいと思います。
昭和プロレスは80年代がピークだった!?
私が初めてプロレスなるものに接したのは今をはるかに遡る、私が6~7歳の頃、確か小学校の3~4年生くらいだったでしょうか?
母方の親戚に遊びに行っていた時、たまたまついていたカラーテレビ(当時、カラーテレビを持っている家はまだ希少でした)の番組に思わず見入ってしまいました。
確かその当時の独裁的権勢を誇っていた「日本プロレス」の試合を放送していたのです。
出ていたレスラーはもう完全に覚えていませんが、レスラーがつけていたパンツが鮮やかな水色だったのだけは今でも覚えています。
この時から始まって西暦が2000年に変わる頃までの約35年ほど、私はプロレスの大ファンだったのです。
しかしながら悲しいかな、2000年代以降は全くといっていいほど、プロレスから離れてしまいました。
それはとりもなおさず、昭和の時代を引っ張っていってくれていたあの有名レスラーたちが次から次へとマットから消えていってしまったからです。
ざっと挙げただけでも、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、スタン・ハンセン、ブルーザ―・ブロディ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ラッシャー木村、などなど。
彼らの存在があったからこそ、昭和プロレスは面白かったのです。
そういったかつての試合を今、改めてCS放送で見るに及び、つくづく「ああ、昭和のプロレスが最も華やかだったのは80年代までで、90年代になってすっかり変わってしまったなあ」という思いが改めて感じられたのです。
馬場・猪木を超えるスターはもう出ない!?
どうしてそんなに昭和の70年代から80年代にかけてのプロレスが面白かったのか。それは一にも二にもこの両者、「ジャイアント馬場」と「アントニオ猪木」の存在に尽きるのです。
この両者がかつて同じ団体に所属していたなんて、平成の人達からみたら信じられない出来事ではないでしょうか?
かつてこの両者は「BI砲」なるタッグチームを結成(とは言っても会社の方針により、それに従っただけでしょうが)。数いる強敵を相手に名勝負・熱戦を展開しました。
中でも子供心の記憶にまだ残っているのが、BI砲と「黒い魔神」と恐れられていた当時ピークだったボボ・ブラジルと対戦したタッグマッチです。(ちなみにブラジルのパートナーは誰だったか全く覚えていません)
実はこの試合、布石があって2~3週間くらい前の放送で猪木が他の選手と組んでブラジルと試合をした際、パートナーがボコボコにブラジルにやられてしまい、それに怒った猪木が試合後、マイクを掴んで「次の試合でブラジルに卍固めをかけてやるぞー!」とものすごいマイクアピールをやってのけたのです。
これを見た私はもう完全に興奮状態。あの一撃必殺の卍固めが果たしてブラジルにかかるのか?かかったとしてもそれで仕留められるのか?といった興味が湧いてきてもう大変でした。
そしていよいよその試合が放送される日。公約通り、卍固めをかけて身事ギブアップを奪った猪木の雄姿を見る事が出来たのです(但し、3本勝負だったので1本目は猪木が勝ったのですが2本目はブラジルの強烈な頭突きが決まって猪木、フォールされましたけどね)。
この時の卍固めの雄姿、確か当時の少年雑誌の表紙にもなっていたのを覚えています。それくらい当時のこの2人は世間が認める絶対的なスターだったのです。
さて、それで時が経ち、両者とも今はリングから離れてしまいました。馬場さんは天国に旅立たたれ猪木氏は国会議員として全く違う畑を歩んでいます。
90年代からは馬場・猪木の弟子たちが懸命になって接戦を繰り広げてくれましたが残念ながら師匠を超えられるような存在には誰もなっていないようです。
でも、天龍や長州、蝶野といったプロレス以外のテレビに出てくる選手もいるにはいます。彼らのプロレスも決して悪くはなかったのです。
しかし、本家本元である馬場・猪木を超えるようなところまではいかなかったのですよね。それくらい、馬場・猪木という存在は「別格」だったという事でしょう。
まとめ~昭和のプロレスは新しい元号に復活できるか?
今回は昭和のプロレスを熱く語る、というテーマかなり自由気ままに書いて参りました。
ではもう一度、振り返りますと、
- 昭和のプロレスは80年代がピークだった!?…馬場・猪木が現役バリバリだった頃が昭和プロレスの花だったのです。
- 馬場・猪木を超えるスターはもう出ない!?…残念ながらこの2人を超える存在はもはや出てこないでしょう。不世出の存在だった人が同時代に2人、いたという事です。
となっていました。
馬場と猪木。この2人、明らかにスケールが違います。馬場選手が2メートル9センチ。かつての巨人軍のピッチャー。「東洋の巨人」と銘打たれたそのダイナミックで素早い動きはCS放送を見て「なるほど」とうなだれました。
猪木選手。191㎝あって顔がいい。当時のプロレスラーの中にあってはイケメン系です。均整の取れた柔らかくネーチャーな肉体は馬場にない財産です。一時期、東京プロレスという団体のエースとして独立するくらいのスター性を持っていたわけです。
このテレビ映えする2人がマットから消えてしまったことは正直、悲しいですね。出来ることならいつまでも現役バリバリのこの両者の雄姿を見たかったものです。
さて、新しい元号になって昭和のプロレスが復活できるのか?それはひとえに「馬場・猪木」並みのスターレスラーの確立が必要でしょう。
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