CS放送から今の時代になって改めて楽しませてもらっている「昭和のプロレス」。
今回はあの時代に活躍していた往年の外人レスラーレスラーについて書いていきたいと思います。
日本の夜8時は熱かった!
あの時代、プロレスは馬場と猪木という2大スターがいたおかげで金曜の夜8時と水曜の夜8時は存分にプロレスを楽しめていました。
それは今の時代からは考えられない出来事ですよね。
何せ同じ団体の(日本プロレス)興行を週に2回も、しかもゴールデンタイムの夜8時に放送していたのですから。
いやはや昭和の40年代、いくら娯楽が少なかったとはいえ、プロレスが娯楽の王道を走っていたかを嫌と言うほど納得させられる現象です。
さて、そんな中で、馬場・猪木の両雄を否が応でも引き立ててくれたのが「外人レスラー」の存在です。
彼らがマットの上で思う存分、暴れてくれたおかげで馬場・猪木が光り輝いたのです。、
では、そんな熱かった日本の夜8時台のお話をこれから進めて参りましょう。
昭和40年代から50年代、マット界には強豪外人レスラーが大挙としていた!
決して大風呂敷を上げて言っているのではありません。
今の時代に外人レスラーと較べると派手さや奇抜さはありません。リングコスチュームも履いているシューズも全て地味で目立ちません。
ところが彼らの風貌、存在感、説得力は今見てもすぐに納得させられるくらい「凄い」のです。
まさに「銭の取れるレスラー」「客を呼べるレスラー」と言って過言ではないくらいの存在感がそこにあるのです。
昭和のプロレスに登場した外人レスラーは凡そ、プロレスの集大成的な迫力を併せ持ってテレビの中に登場したのです。
ざっと挙げていきますと
- 「殺人鬼 キラー・コワルスキー」
- 「荒法師 ジン・キニスキー」
- 「人間発電所 ブルーノ・サンマルチノ」
- 「鉄の爪 フリッツ・フォン・エリック」
- 「殺人台風 ドン・レオ・ジョナサン」
- 「粉砕者 クラッシャー・リソワスキー」
- 「生傷男 ディック・ザ・ブル―ザ―」
- 「白覆面の魔王 ザ・デストロイヤー」
- 「黒い呪術師 アブドーラ・ザ・ブッチャー」
- 「黒い魔神 ボボ・ブラジル」
- 「仮面貴公子 ミル・マスカラス」
- 「人間風車 ビル・ロビンソン」
- 「ドリーとテリーの ザ・ファンクス」
- 「人間山脈 アンドレ・ザ・ジャイアンント」
- 「不沈艦 スタン・ハンセン」
- 「超獣 ブル―ザ―・ブロディ」
- 「美獣 ハーリー・レイス」
- 「超人 ハルク・ホーガン」
- 「狂乱の貴公子 リック・フレアー」
などなど、といった具合です。
これらのレスラーはいずれ劣らぬメインイベンターたちです。彼らの名を聞くだけで会場に客を呼び込めたのです。
そんな彼らが毎年。定期的に日本にやってきて数々の名勝負を演じてくれました。
いやー、本当にあの時代は凄かったです。
では何故、時を経た2019年になってもあの当時の外人レスラーたちは色あせず私の記憶の中に残り続けているのか?それはそのレスラーたちが持つ独特の嗅覚。
つまり、観客の期待と要望を巧みに嗅ぎ分け、何をすれば客が湧き、何をすれば客がシラケるか、について研究し、それを徹底したからです。
つまり皆、「役者やのー」という事です。
どういう動きを行えば観客が盛り上がるか、必殺技はいつ出せばグッドタイミングになるのか、をわきまえていたからです。
例えばザ・デストロイヤーについて書いてみましょう。
彼は格段、体が大きかったレスラーではありません。
身長180㎝。体重110キロ。今のレスラーの部類で見たら小柄です。ヘビー級でやっていくには少々、無理のある体格です。
しかし、彼はそんな体の小ささをものともせずトップレスラーの階段を駆け上がりました。
バネのある下半身、どっしりした全体の体格。観客のブーイングを巧みに誘うインサイドワーク。そして何より彼の代名詞となった必殺の「足四の地固め」への布石の上手さ。
まさに頭が良くなかったら出来ないような試合運びを彼はやれていたのです。だからどこのテリトリーに出場してもトップ級の活躍が出来たのです。
そして往年の名レスラーたちは、デストロイヤー同様、皆、頭が良くて勘客の期待に見事に応えるファイトを展開できました。だから彼らは日本マットにおいても「外人エース」としての存在感を見せつけられたのです。
ではどうして今のマット界から外人レスラーが激減したのか?
この問いに答えるには一つの結論だけでは解決できないでしょう。様々な要因がそこにはあります。
まずはアメリカマット界の事情によるでしょう。
昔はNWAやAWA,WWWFといった3大メジャー団体と各地方にテリトリーを持つ弱小団体とのバランスが取れていてレスラーの需要も結構、あったようです。
しかし、2000年代に入ってからWWFを改めたWWEの独壇場となってしまいました。ショービジネス化をはっきり打ち出したWWEはレスラーの大半を確保。
メーンエベント級の有名どころはごっそり引き抜かれてしまいました。
これが日本に来日する外人レスラーを少なくさせてしまった要因にあげてもおかしくないでしょう。
更に日本国内においても日本人同士の対決がメーンとなってきました。
まあこれも確保しにくくなった外人レスラーの代替え案といったらそれまででしょう。80年代から始まった日本人同士の抗争が定着し、特に外人レスラーを必要しなくなった、という背景がそこにはあったようです。
この2点が日本マット界から外人レスラーが激減した要因だと私は思っているのです。
まとめ
今回は,何故、外人レスラーが激減したのか、それについて考えてみました。
ではもう一度、今回の概要を触れておきますと、
- 昭和40年代から50年代、マット界には強豪外人レスラーが大挙としていた!…あの当時、10本の指では足りないくらい有名外人レスラーが毎月、来日していたのです。
- どうして外人レスラーが記憶に残ったのか?…彼らの頭の良さが全てです。観客を自分の世界に引き込むのに皆、長けていたのです。
- どうして今のマット界から外人レスラーが激減したのか?…アメリカマット界の再編と日本マット界の日本人対決の構図に飲み込まれました。
という事になっていました。
ただ、「激減」と言っても圧倒的な存在感を見せつけて今の日本マットにおいてエース級の活躍をみせている外人レスラーもいます。
それが「ケニー・オメガ」選手です。183センチで92キロ。現在35歳のレスラーです。
確かに彼の試合は「今」的です。
物凄い空中戦。類まれな身体能力。そして一歩間違えば「死」に直行しそうな危険な技。ここまでやらなければ今のプロレスって成り立たないの?と思えるほどの過激さです。
元来、プロレスとは「安全」を大前提で行っていたはずなのです。なのに今のプロレスファンたちは危険な技の応酬に一喜一憂しているようですね。
私的には今のプロレスは見るに忍びありません。
それは昭和の頃のプロレスが体に染みついているからでしょう。外人レスラーが日本で育たなくなった背景にも、もしかしたらこのような危険思考の試合展開も原因かもしれませんね。
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