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キャバ嬢 女性 貧乏脱出体験談

ブラック企業勤務で摂食障害で退社。貧乏生活、病院通いからキャバクラ勤務で復活

2016/10/25

現在、夫と二人の子供を育ててる主婦です。

子供二人が手を離れつつあるので、仕事を始めようと思い、履歴書を何通か記入しているのですが、履歴書に書けない空白の1年間が存在します。

夫と出会って結婚するまでの19歳から29歳までの10年間、一人暮らしをしていましたが、その中の26歳から27歳までの1年間が空白の1年に当たりますが、この時、私はどん底の貧乏生活を体験しました。

今回は、この貧乏生活にどうしてなったのか、どうやって脱出したのかについてお話したいと思います。

氷河期の中での初めての就職

私は18歳の時に高校を卒業して就職をしたのですが、いわゆる就職氷河期で、大卒でもなかなか採用自体がない時期でした。

それに加えて、高卒での就職は難しく困っていた所に、その時にアルバイトをしていたとあるファミリーレストランから、高校卒業後にそのまま契約社員として残ってくれないか、と打診がありました。

全国にもチェーン店が多く有名なファミリーレストランだった為、就職先も見つからずに困っていた私は、そのままその要望をありがたく受け入れ、契約社員として就職しました。

けれども、アルバイトの時と違って契約社員とはいえ責任を負う立場になった事で、24時間営業の店舗だった事もあり、昼も夜もない生活が始まりました。

契約社員の為時給制でしたが、残業もつかずいわゆるブラック企業と言われても仕方ない働き方でした。けれども、その時私は頼れる両親もいなかった事もあり、働き続ける事しかできませんでした。

当時は時給750円、責任者手当がプラス10円の計時給760円、毎月の労働時間は220時間でした。

220時間を超えると労働基準法違反になる為、自動的にただ働きになりますので、最低でも月に250時間は働いていました。だいたい毎日12時間朝6時から夕方18時までの12時間勤務で、休みは週に一回です。社会保険などを引いて、これだけ働いても手取りは大体月15~16万円でした。

給料や待遇は悪くても、働いているお店の人間関係は良く、仕事自体は好きだったので続けていました。

24歳の時の転機 転職

そんな生活を続けていた時、高校の時にお世話になった恩師と再会します。

今の私の仕事状況を見て、恩師の知り合いの会社で働いて見ないかと誘われました。英文事務の仕事でずっとやりたかったので、ありがたくその依頼を受け、転職しました。

それと同時に、大学に行きたかった夢を叶える為に、通信制ですが大学に通い始めました。目標は、大卒資格と教員免許の取得です。

上司の無理な要求に・・・摂食障害に

慣れないPC作業に、規模の大きい会社だったので、与えられる仕事と自分のキャパシティとの差に辛さを感じる事もありました。

けれども、ずっとやりたかった仕事だったのと、定時には帰れた事、土日もしっかり休めてお給料も倍以上になり、安定した生活を送れるようになったので、頑張ろうと思いました。

朝8時半から17時半までの8時間勤務、残業なし、土日祝休みで月給30万円行くか行かないかくらいでした。

仕事帰りや休日を利用して、大学で授業や試験を受けたり、レポートを提出しながら仕事を続けました。

仕事も慣れてきて1年経った時に、直属の上司が変わりました。

その上司になってからは仕事の面で理不尽な思いをしたり、無理な要求をされる事も多くなりました。

その上司になってからは、見えない所で腰や足を触られるなどセクハラの様な事をされたり、高卒である事をチクリと言われるなどの仕事面で理不尽な思いをしたり、他から依頼を受けている仕事から割り込んで別の仕事を依頼されるなど、無理な要求をされる事も多くなりました

そして仕事を続けている内に、私は摂食障害になってしまいました。

摂食障害という症状もまだメジャーではない時代だったので、当時の私は自分が病気という自覚はありませんでした。

ロッカーやトイレで隠れて菓子パンやお惣菜を詰め込み、すぐに吐き出す、という繰り返しで、気分もふさぎ込みとうとう会社にも行けなくなり、退社を余儀なくされ、大学も行けなくなりました。この時26歳でした。

摂食障害のときのことについては以下の記事で詳しく書きました。
一人の女性が摂食障害になり、薬で治療して改善するまで

会社を退職してからの空白の1年間の過ごし方

その後、働かなければいけないのにも関わらず、毎日近所のコンビニに行って食材を大量に買い、食べては吐いての繰り返しで日々を過ごしました。

そして、200万あった貯金も底をついて、とうとう通帳の金額はマイナスになりました。

退職してから半年の時に、市役所の職員を名乗る男性二人組が訪問した事もありました。今思えば訪問調査だったのだと思いますが、当時の私は生活保護などの知識もなかったので、ただ貯金で暮らしているから大丈夫、と伝えて帰って貰いました。

その時、ずっと疎遠だった母方の伯母から連絡がありました。今まで携帯電話の着信などにも出られなかったのですが、たまたま伯母の電話を取ったのです。

電話越しの私の異変にすぐに気が付いたそうで、すぐに家まで駆けつけてくれました。

私の様子を見ておかしいと感じ、心療内科に通う事を勧められましたが、私は自分が心身症だという自覚がなく誇示しました。けれども、伯母は半ば無理やり病院まで連れて行ってくれました。

そして、伯母に支えられながら心療内科に通い、投薬治療が始まりました。

病院に通い生活の立て直し、キャバクラとの出会い

週に一回薬と作業療法を受けに心療内科で通う中で、お金が欲しい、人並みの生活がしたい、と思う様になりました。
その時私が経験した仕事がキャバクラです。病院帰りにきれいなキャバ嬢のお姉さんがお客さんと歩く姿を偶然見かけたのですが、そのお姉さんがとてもまぶしく見えました。

私も、あんな風になってみたい、なってみようか、と思いました。

投薬によって気分が少し上を向いていたのかもしれません。元々接客業だったのとお酒を飲むのが好きだった事もあり、もう、どん底だから何でもできる、という気分が私をキャバクラの面接まで背中を押しました。

その後、良いお客さんに沢山恵まれ都内のとあるお店のナンバーワンになりました。

摂食障害はその頃、月に一度過食をするかしないかまで減っていました。どんどん預金も増えて行き、大学にも復学しました。

キャバクラで働いてた時のお給料は、ランクによって変動するお給料が大体2千円前後、それに指名料が時給プラス千円されるので、例えば指名のお客様が三人同時にいた場合には時給プラス三千円になり、お客様がいた時間分だけ時給にプラスされるので、時給5千円で6時間ならそれだけで3万円です。

月給で表すと変動はありましたが、最低でも45万、多いと100万に行く事もありました。

キャバクラ勤務のときのことは以下の記事で詳しく書いています。
どん底貧乏生活の女性をキャバクラの仕事が救った話【お店のナンバー1になれた方法】

キャバクラで貧乏から脱出し結婚へ もう薬は飲んでいません

私が貧乏を脱出したきっかけになったのはキャバクラでの勤務です、その時に自信がつきました。

そして教育実習も無事終えて大学も卒業、教員免許も手に入れました。その時には断薬もし、摂食障害も克服していました。

キャバクラを卒業後は派遣社員として働き、その時知り合った主人と出会い結婚しました。

今、貧乏を体験している人へ

もしも今、お金に困ってどん底の生活をしている方がいれば、もうこれ以上下に落ちる事はない、と思って今までやっていなかった新しい仕事にチャレンジしてみるのも良いと思います。

思わぬ成果が出て生活の立て直しに繋がる事があります。

また、私の様にストレスなどが原因で働けなくなり貧乏になった方は、心療内科に通ったり、失業保険を受給するのも、生活保護に頼るのも手段の一つです。

当時の私は生活保護の存在も知りませんでしたが、税金に頼りたくない、という気持ちから生活保護を利用したくない、という方がいらっしゃるかもしれません。けれども、生活を立て直して働ける様になった時に、しっかり納税して恩返しすれば良いのです。