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女性 病気

一人の女性が摂食障害になり、薬で治療して改善するまで

2016/10/25

今はごく普通の主婦として、子供を育てながら生活している私ですが、夫と伯母しか知らない病気にかかった経験があります。

(詳しくは「ブラック企業勤務で摂食障害で退社。貧乏生活、病院通いからキャバクラ勤務で復活」の記事で書いています。)

誰にも言えない病気の名は「摂食障害」です。

今は心の病気としてもメジャーになりましたが、私がこの病気にかかった時にはこのネーミングではなく、「拒食症」「過食症」などと呼ばれていました。

子供の時にモデルをしていました

一人娘として育った私は、両親からの愛情を受け、特に母親からは惜しみない愛情を注がれた記憶があります。

子供の時からずっと背が高く、スタイルも良かった私はある日、母の知り合いの子供服ブランドのアパレルスタッフの方から、モデルとしてショーに出てみないかと誘われました。

私自身はファッションセンスは皆無でしたが、母の強い希望もあって平日は学校、週末はショーに参加する日々でした。

特別ダイエットをしたわけでもなかったのですが、母は管理栄養士の免許も持っている事から料理が上手で、いつもバランスの良い食事を提供してくれていたお陰で、知らず内にスタイルをキープできていました。

食べても太らない、という過信が崩れた瞬間

時は流れ、両親は私が中学の時に事故で他界してしまいました。

それから、母の姉である伯母の世話になりながら高校を卒業後に就職しました。

その時から一人暮らしを始めたのですが、高卒でお給料も低い中、低予算でお腹いっぱいになれるファーストフードやお米などの炭水化物が主食になってしまいました。

そして、不規則な仕事の中で寝る前にドカ食いする日々、でも私は絶対太らない!という自信がありました。

けれどもそれは、亡くなった母の食事のお陰です。そんな生活の中で少しずつ太ってきてしまいました。ある日体重計に久しぶりに乗ったら、今までの体重よりも5キロも増えていました。

それでも標準体重よりは痩せていたのですが、体重計の数値を見たその時、私の中で何かが音を立てて崩れました。

食べても、吐けばいいんじゃないか…

ある日、私は初めてテレビで「拒食症」という言葉を知りました。

沢山食べても太らない海外のモデルさんが紹介されており、骨と皮だけになってしまった体で、多くの食べ物を詰め込む姿が映し出されていました。

それでも、彼女が痩せている理由が、「食べた後に嘔吐する」という方法を取っていたからです。バスルームで自ら手を口に突っ込み、食べた物を吐いてしまうのです。

その時、私は「これだ!」と思ってしまったのです。その時から、もう私の摂食障害は始まっていたのだと思います。

反動で過食も併発

始めは食事を吐く、という事だけでした。けれども、だんだんエスカレートしてきて、食べる量が尋常でなくなりました。

そして、ついに常に何かを食べていなければいけない気分になったのです。

仕事を抜け出して、ロッカールームやトイレで菓子パンを急いで頬張る日々です。しかも、一つ二つではなく、お腹がパンパンになる程、10個くらい食べないと満足できません。

重くて苦しいお腹を抱えて、その後はミネラルウォーターを持ってトイレへ行きます。

手を突っ込んで吐きます。そしてミネラルウォーターを飲みます。そして吐きます、その繰り返しです。

そして、毎日体重計とにらめっこの日々です。1キロ増えていれば過食し、吐くの繰り返しです。

その頃、鬱病も併発していました。過食嘔吐から鬱になったのか、鬱だったから過食嘔吐になったのかは分かりません。貧乏体験記でも書きましたが、だんだんと、仕事にも行けなくなり、とうとう退職してしまいました。

無職だった時の過ごし方 どんどん食べて吐く毎日

会社を辞めた後の生活は、まず昼過ぎに起きて近所のスーパーに行き、食料を思い切り買い込みます。パンやスナック菓子、カップラーメンが吐きやすくて良く購入していました。

そして、帰宅後食べます。どんどん食べます。そして吐きます。そして、また買い物に行きます。最初利用したスーパーは恥ずかしいので他のお店へ行きます。

私はいつもすっぴんで髪もボサボサ、ジャージ姿でした。一日あたりで数万円を使う日々、勿論貯金もどんどん減って行きます。

そんな時・・・伯母に発見されました

無職になってからは、携帯電話のメールや着信も出なくなりました。

電源が切れているのも気がつかないくらいです。

そして、ある日突然以前世話になって来た伯母が自宅に訪ねてきました。

どうやら、電話やメールを何度もしてくれていたのに、私がずっと放置していたので、心配になって様子を見に来たとの事でした。

一緒に心療内科へ 薬治療で改善へ

荒廃した部屋の様子や、変わり果てた私の姿を見てすぐに、尋常でない事に気がついた伯母は、半ば無理やり私を心療内科につれて行ってくれました。

カウンセリングや臨床心理士さんからの心理検査を受けました。ドクターはにこにこと私の話を聞いてくれる方でした。

はっきりと病名を告げたわけではありませんが、「過食は止めたいんです」と言った事から、「できるだけ、過食が止められるようにできる様に、お薬を飲んでみませんか」と言ってもらいました。

その時処方されたのが「ルボックス」という薬です。インターネットで調べた所、セロトニンを増やすお薬だとのこと。セロトニンを増やす事によって、鬱を撃退する「抗うつ剤」で、SSRIと呼ばれる薬という事が分かりました。

ルボックスを医師の指示通りに飲み続け、それでも症状は改善しなかった所「パキシル」という薬に変えられました。

今度もあまり効かないんじゃないか…と思った所、過食をしたくなった衝動を一度だけ抑える事に成功しました。

今までは「食べても吐けばいい」という気持ちだったのが「食べなければ、吐かなくて済むんだ」と思う様になったのです。

摂食障害は徐々に改善へ

パキシルが体に合っていたのか、少しずつ過食をする頻度が減って行きました。

毎日が二日に一度、四日に一度、一週間に一度…という具合です。

また、過食をしてしまっても吐くのを我慢した事もありました。そして、次の日に体重計に乗っても、1キロしか増えていない事を見て「ああ、あれだけ食べてもこれだけしか増えないのか…」と思う様になったのです。

断薬の苦労、副作用について

その後、パキシルを飲み続けながらも再就職に成功し、パキシルも少しずつ断薬しました。

パキシルを断薬する時は、とても辛かったのを覚えています。二錠飲んでいたのを一錠にした時はそれほどではなかったのですが、一錠を半分にした最初の日、体がブルブル震えてだるさと重さで起き上がれなくなりました。

仕事を休んで、ベッドで横になってひたすら耐えました。辛くて涙が出てきました。

次の日は若干のだるさを感じるだけになり、その後も半分から四分の一まで断薬し、最後は飲まなくなりました。

薬を止めた日も、手のしびれと体の重さ、目がチカチカする感覚に悩まされましたが、布団を被ってひたすら耐えました。

ご飯がおいしいと感じる生活へ

そして、パキシルを止められた時には、すっかり過食嘔吐も成りを潜めていました。

人並みの食事量でもお腹いっぱい、と感じられるようになり、ただ詰め込んでお腹を満たしていた不健全な食事とは完全にさよならできました。

そして、今ではご飯がおいしい、と感じる生活を送っています。

摂食障害で苦しんでいる方へ 自分を受け入れる事

過食嘔吐が始まったきっかけが、私はスタイルの良かった自分と今の自分が変わってしまった気がして、自分が受け入れられなくなった事だと思っています。

けれども、体重計の数値なんてあくまで数値上の問題です。ただ体重が軽ければスタイルが良い、というわけではないのは当たり前というのは今では分かっているのですが、その時の私には分からなかったのです。

摂食障害を克服するのは、ありのままの自分を認める事と、心療内科など適切な受診をする事だと思います。