借金返済のためにキャッシング…浪費家の夫と離婚して借金500万から200万まで減らした体験談。
2019/01/10
年齢:50代
家族構成:息子2人
お金に困った理由:浪費家の夫との離婚
500万もあった借金が、やっと200万に。わずかに希望の光が見え始めました。
ただ、生きるためだけに働く。
今思えば、あの苦しかった時期をよく超えられたものだと思います。
私は現在、50代の女性です。
今から10年ほど前に、主人とは離婚をして、子どもと二人の暮らしが始まりました。
お金も物もない状態で、逃げるように家を出た私たちは、引っ越しや新しい家の家賃なども銀行から借り入れ、借金からのスタートでした。
夫の浪費癖に悩まされる毎日
普段は会社員として、まじめに働いている人なのですが、今思えばかなりの見栄っ張りだったと思います。
特に趣味のスポーツに関する服や靴などには糸目もつけず、カードで月に何万も買い物することがありました。
取引先の展示会に行った時などはさらにひどく、時計やバックなど、一度に20万円以上の買い物をしてきたことがあります。
生活が本当に苦しいから止めてほしいとお願いすると、「俺の金だ!いちいちうるさい!!」と言われ、手をあげられることもありました。
お金のことでしょっちゅうケンカをするようになり、子どもたちには本当に辛い思いをさせたと今でも申し訳なく思っています。
借金を払うためにキャッシングに手を出す
まったく本末転倒なのですが、カードで買った商品のお金を払うために、カードでお金を借りるようになっていました。
本当は、もうこれ以上、お金はないと主人に言えばよかったのですが、言うとまたケンカになり、怒鳴られ続けると思うと、怖くて言えなかったのです。
借金地獄の始まりでした。
もちろん私も働きに出たのですが、今度はそれで余裕が出来たと思った主人は、さらにカードで買い物をするようになったのです。
誰にも頼るところもなく、相談も出来なかった私は、借金のことや子供の将来を考えると、夜も眠れない日々が続き、鬱状態になっていきました。
子供の教育費が払えず悩む毎日でしたが、過払金請求を自分でやりました。
その体験談もお読みください。
→過払金請求を自分でしてみた体験談。「子供の教育費が足りない…!」
子供の言葉で離婚を決意
この時、長男は社会人で、一人暮らし。
次男は進学で、半年後には県外の大学に行くことが決まっていました。
半年後、この家に主人と二人きり…。
そう思うだけで、鬱の状態がひどくなりかかっていた時に、かけられた子供からの言葉でした。
「お母さん、僕たちのために、もう我慢しなくていいよ。お父さんと離婚して」
子どもたちからのその言葉に、心がいっきに自由になれたような気がしたのです。
これ以上、もう我慢をしなくていいのだと思うと、すぐに離婚に向けての準備を始めました。
離婚調停に申し込み、主人に非があるからと私の意見が通り、あっさりと離婚することが出来ました。
ただ、お金がないの一点張りで、慰謝料を1円ももらえませんでした。
正確には、それ以上、主人と闘うほどの気力がもう、疲れ果てた私には残っていませんでした。
子どもの親権さえもらえれば、慰謝料はいらないと私も言ってしまったのです。
離婚調停に関する記事も書いていますので詳しくはこちらをお読みください。
→実際に離婚調停をした流れ・期間・費用について体験談をお話しします。
離婚後体調を崩し、さらに借金が増えていった
これでやっと自由になれた、ここからまた新しく人生を始めるのだと思うと、涙が止まりませんでした。
そして、その頃から鬱の症状がぱったりと無くなってしまったのです。
本当に、心と体は繋がっているのですね。
心が元気になってくると、体も元気になっていきました。
引っ越しも終わり、派遣ですが再就職も出来ました。
ただ、すべての費用は銀行から借りたので、生活費+借金のお金も稼いでいかなくてはなりません。
離婚して最初の2年間くらいは、一日の休みもなく毎日働いていました。
平日は、派遣のお仕事、土日は倉庫のアルバイトと言った感じで。
でも、さすがに体力は限界でした。
もうあと50万ほどで借金が終わるというところで、今度は更年期になってしまい、仕事もほとんど出来ないような状態になってしまったのです。
長男も同じころに体を壊し、二人して半年近くもまともに働けない時期がありました。
もうすぐ終わるはずだった借金も、生活費+借金+病院代で、あっと言う間に500万近くまで膨れ上がってしまいました。
体力を使わずに、収入を得る方法を探し始める
まず、最初に家の中のお金になりそうなものはすべて売りました。
結婚指輪にダイヤモンドの婚約指輪、楽器に食器に衣類まで、なんでもお金に変えました。
そして、その頃になるとメンタルもかなりタフになってきていたのでしょうね。
働きに出られないなら、自分の得意なことで、家で出来るお仕事はないかと模索していました。
やっと離婚できて自分の人生を歩き始めたところなのに、こんなことで負けてたまるかと。
そんな時に、テレビで偶然見かけたのが、在宅でアンケートに答えたり、文章を書くお仕事でした。
もう、すぐに飛びつきましたよ。
と言っても、いきなり文章を書くなんて自信がなかったので、まずは簡単なアンケートから始めてみました。
1件、たった3円や5円のアンケートでしたが、それでも自分の意見が認められることが嬉しくて、どんどんハマっていきました。
そして、少し自信が出来たころから、短い文章を書かせてもらうようになり、単価も上がっていきました。
私はまだまだ駆け出しで、収入も少ないですが、でもこのお仕事は本当に楽しく、やりがいを感じています。
そして、この在宅ワークに関しては、いろいろな案件があります。
ネーミング・企画構成・デザインや雑記ブログなど、パソコンがあれば挑戦できるお仕事はたくさんあります。
パソコンがある程度使えて、ダブルワークなどをしている方には、体力的に無理になる前にこのようなお仕事もお勧めです。
現在、借金は残り200万円
現在は、長男とも別々で暮らしています。
苦労ばかりさせてきた長男ですからね、自由にしてあげたかったのです。
私も今は体力も戻り、日中は普通に派遣で働いて、お休みの日に、たまにアルバイトに行く程度でしょうか。
時間があるときは、もちろんライティングのお仕事に励んでいますが、なかなか借金は思うようには減ってはくれません。
50代も半ばですから、体力的に無理をして、また働けなくなって子どもたちに迷惑がかかるようなことだけは避けたいと思っています。
でも、あれだけあった借金を、なんとかここまで返せたのは、自分でも自信になっています。
人生、あとどれだけ生きられるかはわからないけれど、この借金を完済してから人生を終えられたらなと思っています。
今、お金に困っているなら弁護士に相談してください。
もし今借金で苦しんでいる方がいらっしゃるなら、そうお話ししたいです。
そして、その助言に素直に従うことです。
私は離婚調停の時に、調停委員に何度も言われました。
後で絶対に困るから、慰謝料はご主人のお給料を一部差し押さえてでももらった方が良いって。
でも、すぐにでも主人と縁を切りたかった私は、その助言に従いませんでした。
その頃はメンタルも極限状態で、もうこれ以上離婚に時間がかかると、また鬱状態になりそうだったからです。
そして、28年も連れ添ったのです。
退職金の半分ももらえるように手続きをしておけばよかったと後悔もしました。
もし、あの時私が素直に調停委員の話を受け入れて慰謝料をもらう手続きをしていれば、少なくともこんなに多額の借金を背負うこともなかったでしょうから。
そして、もし自分に体力があるなら、期間工などの仕事をして、少しでも早く借金を返したかったですね。
長男と別れて暮らすときに、寮のあるところに入って少しでも早く借金を返したかったのですが、年齢が年齢なだけに、まわりから止められました。
お金に困っている方へ
借金は、本当に人生を狂わせます。
もしかしたら、あなたから夢や希望を奪っているかもしれません。
でも、諦めずにちゃんと取り組むことで、きっと人生は開けていくと思います。
ご自分の人生を取り戻すために、一日も早くその道のプロに相談して、素直に助言に従い、新しい人生を歩んでくださいね。