DMAT看護師のヨッシーのブログ

ER看護師でDMAT隊員副隊長を務めているヨッシーのブログです。DMATに関する情報、日々のDMATの業務、看護の技術について等、DMAT看護師に興味を持っている方に役立つ情報を発信していきます。

あれから5年 東日本大震災で駆り立てられたもの

      2020/01/30

3.11 東日本大震災から5年が経過しましたね。

テレビを見ているとこの震災に関する情報番組などがとても多く放映されています。

風化されないようにこの教訓を忘れないようにとの思いがこもっているのをとても感じます。

この震災で多くの方々が被災されまたは命を奪われ原発事故で避難を余儀なくされてしまった方々がたくさんたくさんいらっしゃいます。

当日私は家にいました。幸いにして家屋の倒壊や火災、近所や家族で怪我をしたり命を奪われたということはありませんでした。しばらくしてから揺れも落ち着き冬で寒かったので家の中に入りました。

しばらくすると東北地方で大きな地震があったことや各地の様子がテレビなどで映し出され津波や火災、避難している人々の様子も映し出されていました。

見た瞬間涙が溢れ出てしまい止めることができずその場に立ち尽くしてしまいました。その時の恐怖や悲しみは言葉ではいい現すことができませんでした。

看護師をしている私の意識がこれほど変わった出来事はありませんでした。

看護師とは何かを考えさせられた東日本大震災

恥ずかしいお話なのですがこの東日本大震災というものがなければ看護師としての私の在り方というものは全く違っているものになっていました。

現在のERに勤務する前は当時の病院のICUに勤務していました。それなりにスキルも高めることができ友人も多く仕事も嫌な上司がいる以外はとても順調に過ごしていてそれなりにとても充実した日々を過ごしていました。

勤務が終わった時や休みの日も面白おかしく過ごしていくのが我が道と信じて疑いませんでした。

しかし東日本大震災が発生し看護師である私は考えさせられました。

「多くの方々が苦しんでいる、ここにいる人たちは何も不自由なく暮らしている。被災して医療処置を受けたくても受けられない被災地の患者さんや自らも被災しながらも患者さんのために頑張っている医師看護師をはじめとする医療機関で歯を食いしばって頑張っているその他の方々。何か自分にできることはないか看護師として何かできることはないのだろうか?」

本気でそんな考えや自分自身の意志として頭の中をよぎりました。

医療機関で働くのは看護師として当たり前のことです。自分が持っている看護師という資格でもっともっとできることがあるのではないか?役立たせることができるものではないのだろうか?そのような考えもよぎりました。

自分の思いとDMATとの出会い

新人看護師さん向けのブログでもお伝えしていますが私とDMATの出会いを再度にわたりお伝えしたいと思います。

東日本大震災が発生するまで本当に気ままな看護師生活を送っていました。

しかしこの未曾有の災害の前に気絶するほどの衝撃とショックそして悲しみを感じました。それはたぶんですが生まれて初めての経験だったと思います。

そんな思いを背負った私は

看護師として何かしたい!何か被災してしまった方々に何か医療的な支援をしたい!

という思いが日をおうごとに大きくなっていきました。

所属している医療団体から被災したある市にボランティアではあるけれど後方の医療支援の話があり熱烈に志願しました。返事はOKだったので翌日に所属長に許可をもらおうと思い話を切り出しました。

ところが「何もあなたが行くことはない。誰かがやるからいいんじゃないの?」この時ほど情けなくがっかりとしたことはありませんでした。

自分のこれからを本気で考えた瞬間でした。

「ここにいては自分の思いは叶えられない災害にも強く救急にも力を入れている病院に転職してこれからの自分はそこで思いを叶えたい」と願い縁あって現在の職場に転職できました。

部署は希望した通りのERに配属です。災害拠点病院でDMATを結成するときに救急の医師たちから私がいいとありがたい推薦をいただき晴れてDMATになれました。

今は救急とDMATの二足のわらじを履く看護師です。胸ポケットの名札入れの裏側にはいつもDMATの隊員証を入れてあり私の誇りでもあります。平時でも誇りある生活が始まりました。

DMAT隊員としての思い

東日本大震災の時は何もできなかった力及ばずどころか力のちの字も支援できなかった自分を時々情けなく思うことがあります。

でもそんな時私はこう思うことにしています。災害を決して望んだりはしていません。

しかし「これからだって大きな災害がどこかで起きるかもしれない。東日本大震災がなかったらここまで自分を変えることができなかたではないか!」と。

南海トラフ地震がもしかしたら近年において発生すると言われています。それを見越してかDMAT研修においてもその言葉が頻回に出てきます。地域の防災訓練などもアドバイザーとして参加しても参加者は熱のこもった訓練をしています。

私は今もこれからも看護師として平時でも発災時でもDMATの隊員ということを忘れず胸に抱いて生きていこうと思っています。

そしていつでもどんな時でも私の思いは「すべては救命のためにすべては被災者のために」

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