DMAT看護師ヨッシーのブログへようこそ DMATを目指している方へ
2020/01/30
DMAT看護師ブログへようこそ
Contents
まずは自己紹介から DMAT看護師のヨッシーです
新人看護師さんに役立つブログやTwitterより当ブログに訪れた方はすでにご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが改めて自己紹介させていただきます。
私はヨッシーと言います。首都圏のERで看護師をしています。看護師歴はもう長く普通の会社なら結婚していないお局級です。この経験を生かして日夜ERで奮闘しています。
しかしERで働きながらもう一つの顔も持っています。
それはDMATの隊員でもあるのです。
新人看護師さんに役立つブログでもこのDMATの事をご紹介させていただいたところ、たくさんの方々から興味やご質問などをいただきこのブログを立ち上げさせていただきました。
DMATに特化した独自のブログは私が知る限り他にはないと思います。
これから看護師を目指す方、現在看護師で頑張っている方。働いている環境も様々だと思います。
その中で私のこのブログを読んでいただいて少しでも興味を感じ将来はDMATの看護師になりたいという思いを抱いていただけたらこれほど嬉しいことはありません。多くの方々がご覧になっていただければ幸いです。
DMATとは
DMAT。看護師として働いていたり看護学校の授業でも出てきたりして言葉は聞いたことがあるけど実際にはなんだろう?という方も多いかと思います。
私もこのDMATの隊員になりたいと思うまではよくわかりませんでした。
日本では大きな大規模災害特に自然災害が発生しています。阪神淡路大震災、東日本大震災、歴史上で有名なのが関東大震災、茨城県での洪水災害。まだまだありますね。
DMATはこのような災害から産声をあげました。
1995年未明に阪神淡路大震災が発災しました。関西地方にとてもとても大きな被害をもたらしてしまいました。尊い命もたくさん犠牲になってしまいました。
地震による火災、家屋の倒壊、瓦礫の下敷きになってしまった方などたくさんのけが人も発生してしまいました。
そして近隣の医療機関には通常のキャパシティをはるかに超えた患者さんが殺到してしまったため普段の救命医療を行えば救命できた患者さんが適切な医療が受けることができずに死亡してしまった(防ぎえた災害死)方が500人もいました。
また現場で消防、自衛隊、警察の救助隊員が瓦礫や倒壊した建物から要救助者を救助した時は意識も清明でしっかりしていたのにしばらくすると心肺停止になっていたことが多く見られました。
クラッシュ症候群です。第二次世界大戦で空襲で瓦礫に挟まれて救出後に死亡例があったという歴史がある症候群ですがこの震災を経て認知度が高くなりました。
このような背景からあらゆる災害(自然災害、テロ災害、交通災害)現場(広域、局地)に可及的に(数時間から12時間以内に)そのような現場に特別に訓練を受けた機動性のある災害派遣医療チーム通称DMAT(Disaster Medical Assistance Team)が誕生しました。
DMATになるためにはどうすればいいの?
たくさんの看護師さんからまたその他の方々から一番の問い合わせをいただいたのがこの質問です。
DMATで看護師として活躍するには最低限、看護師資格が必要なのは言うまでもありません。そこからが勝負です。どんなことでもいいので看護師として経験と研鑽をたくさん積み上げていってください。この経験と研鑽が臨床でも役に立ちますし、DMATの隊員となり現場活動で必ず役に立つからです。
勤務する科は特に問いませんができたら急性期医療が行える医療機関勤務がいいでしょう。
各種の講習会やセミナーに参加してたくさんのことを吸収して自分のものにしてください。
外傷ならJPTEC、ITLS、MCLS。AHAのBLS、ACLS、PALSなどはオススメです。
後の条件は災害拠点病院に勤務することです。
残念ながら災害拠点病院ではなければDMATにはなれません。個人ではDMATになれないからです。大学病院など救急救命センターを有するところは災害拠点病院になっていることが多いです。近年の規定の変更でDMATを配置するには配置する医療機関は災害拠点病院ではならないという決まりができました。もしここまでクリアできたなら次のハードルです。
もし勤務したところが災害拠点病院であってあなたが経験を積んだ看護師だとします。院内でDMATを募ったとします。選抜方法は医療機関でだいぶ異なってしまいます。
選抜試験で選抜するかまたは院内の選考で試験なしで選抜されるかです。DMATの認知度も高くなってきているのでなりたい看護師さんはたくさんいると思います。競争率はその場合高くなります。定員も看護師の場合は1チーム二人くらいだと思います。編成はチームによって異なりますが医師が二人看護師が二人業務調整員が一人の五人1チームだとは思います。日頃からのあなたの人物像や業務に対する姿勢が問われます。
そしてDMATに対して崇高な思いを持つことです。与えられた任務は必ず遂行するという鋼のような精神と強靭な肉体が必要です。災害現場は悲惨です。落ち込んでばかりいたら助けられる命も助けられなくなってしまいます。病気ばかりしていたら本番で体調不良などを起こし任務の完遂ができなくなってしまいます。健全なる精神や健全なる肉体の持ち主こそがまず資質があるということになります。
院内で選抜されたら今度は次の難関が待っています。
DMATを統括する本部で約4日間の厳しい隊員養成講習を受けなければなりません。
これは内容も難しく座学、実技、テストを繰り返します。最後に終了試験に合格しないと隊員にはなれません。毎回不合格者が必ず出るということでした。これらを全部クリアして晴れてDMATの看護師になれるのです。
遠い遠いまた険しく厳しい道のりです。
DMATになって思うこと
看護師として漠然として過ごしてきた時間が多かったように思います。その日の勤務が終われば楽しみを作って愉快に過ごせればいいやという考えの持ち主でした。
それをくつがえされた瞬間がありました。東日本大震災です。
その日は夜勤あけで自宅でお風呂に入っていました。2011年3月11日14時45分頃に発災しました。入浴中でしたがまたいつもの地震ですぐにおさまるだろうという軽い気持ちでいました。
ところが揺れが終わるどころかどんどん強くなってきたので急いでお風呂から上がって体が濡れたまま脱ぎ捨てた服を着てリビングに駆け込みました。
リビングには愛犬が二頭と愛猫一匹がいて不安そうに私の顔を見上げていました。そんなことをしているうちに揺れは強さを増していき彼らの名前を叫びながら懐に抱きかかえ庭に飛び出しました。電柱は揺れて駐車場に置いてある自家用車もダンスするほどでした。自宅もミシミシと揺れて恐怖のどん底に突き落とされていきました。
揺れはおさまり寒かったので家の中に入りましたが大きな被害はありませんでした。実家の家族に連絡を取ろうとしましたが回線が遮断されていて何も繋がりませんでした。復旧したのが夜だったので皆無事でほっとしたのが忘れられません。その夜東北地方の被害が甚大ということがテレビを通じてわかりました。
津波や火災、家屋の倒壊で避難した人たちの様子を画面を通してですが見ると涙が止まりませんでした。
その時自分にできることはないか?なんでもいい看護師として役に立つことなら現地に赴いてなんでもしたい!
と強く思いました。
たまたま私が所属している医療団体から医療後方支援の話が来ました早速当時の師長に許可をとろうと思い進言したところ「何もあなたが行くことはないし病院としては許可することはできない」心ない返事にがっかりしました。
自分はこれから何をしたいのか?何をすべきなのか?人生初の自問自答を本気でしてみました。やはりこらからは救急の仕事がしたい(その時はICUの勤務でした)そして災害にも積極的に取り組む病院に勤務したい!思いは強くその年にその病院は退職して現在の病院に勤務しています。
一つのこの大きな災害が多くの人々を巻き込んで人生が狂ってしまったと思います。待機命令はきたことがありますが災害派遣では出場はまだありません。でもいつでもどこへでも行く準備はしています。
被災地で被災された方々のために被災で困っている方々や医療援助が必要な方々の元に飛んでいきたいという気持ちは持ち合わせています。DMATになって日常業務もDMATに関しても強い責任感と使命感を持つことができました。
DMATを目指す方々へ
色々な条件や細かいこと難関はたくさんあります。でもDMATになれる可能性は平等に誰にでもあります。
このブログをご覧になって少しでもDMATのことをご理解していただいたり目指す方々の羅針盤になれればこれほど嬉しいことはありません。