お金に困ったら見るブログ 〜極貧乏脱出方法まとめ〜

お金がなくなり窮地に陥ってから復活した人の体験談を紹介 貧乏から脱出する方法、貧乏にならないための情報を提供していきます。

会社経営

メーカー経営(部品加工)で倒産しかかったが、復活し年商5億円となった話。

今から15ほど前のことになりますが、父母が経営していた小さな部品加工(切削加工)が大ピンチに陥ったことがあります。

今はもう完全に立ち直って、年商5億円となり、私が社長をしております。

この初めて経験した大ピンチの状況についてお話致します。

もう20年近く父母が金属部品の一部を切削加工する事業を年商1億円ほどの黒字拡大を続けてきました。従業員も5人ほど雇えるようになったのです。

しかし、あるときなぜか部品の原料が親会社からこなくなったのです。理由はわかりません。1週間たっても、1ケ月経っても1本もきません。6ケ月たったころ1割ほど入りました。

それから、徐々に増えて半年してもとの状態に戻ったのです。この1年間余りの未曾有の大ピンチの時の対応についての経験談です。

受注できない理由がわからないほどつらいものはない

最初の1週間ほどは、日ごろはなかなかできない工場内の整理整頓や草むしり、社内教育をやって時間をつぶしたのですが、従業員も少しずつ不安がって落ち着かなくなってきました。

丁度3週間目に入ったころ、父は腹を決めて、従業員5人を自宅待機にしました。

いつまで続くのか判らないので難しいのですが、給料の半分を保障しました。

しかし、給料の半分といっても、当時は自転車操業の状況にあり、また下請(外注)が3社(3軒)ありこれも無視するわけにはいきません。

なぜかというと、金属の原料(材料)にはこってりと粘凋な油がついていて、これを取り除くのに外注を使っていたからです。こちらの3社も今後のことを考えて、最盛期の25%を保障したのです。

なぜか銀行からは1円も貸してくれない非情さ

零細企業には資金などありません。1000万円近くを銀行に融資を頼んだのですが、のらりくらりと1円も貸してくれません。

それどころか、担保はあるか、なぜ原料が入荷しないのか、いつまで続くのかなどの問いかけだけです。そんなわけで、その月は親戚などから何とか工面してその場を凌ぎました。

3ケ月もするともうだめです

生活に必要なお金が底をついたのです。その日の米やおかずにも事欠くようになったのです。

妹は家の家事一切を担当するようになりました。さあ大変です。父は道路工事の人足に、母は掃除婦で3軒掛け持ち、私は新聞配達をしました。生活費は何とかなるようになりましたが、従業員の給料まではとても無理です。

しかし、日本の世の中はうまくできています。周りの人が助けてくれるようになったのです。たとえば、新聞は朝見たらどうぞと届けてくれるし、米は近くの農家の方が「古古米(こうこまい、一昨年収穫したコメ)や野菜をくれるし、魚やからは魚のあら(普段は動物のえさ)を週に数回恵んでもらえるようになりました。

近くのスーパーからは毎日ではないのですが、賞味期限切れの弁当を夜9時にもってきてくれるようになりました。

それでも、金がまったく足りない・・・そんな時、銀行融資が通る

親会社の親密にしていた人からなんとか理由を聞き出せたのですが、どうもその先の顧客の事情らしいということがわかりました。

「あと、間違いなく数ケ月ですよ」というのです。

あと数ケ月で元の状態に戻ることを銀行に話すと、目標の半分融資してくれました。

なぜ銀行は金を貸してくれたのでしょうか。後で知ったのですが、銀行は不確かなことや不明瞭なことがあると絶対融資してくれません。

確実に今後こうなるであろう経営計画やその状況を示す書類又は証拠、あるいは確かな人の話(私の場合は親会社の関係者の一言)があれば、今までの信頼関係でお金を融資してくれます。

今後の夢、希望、確たる可能性、地域社会への貢献などを整理するとよいと思います。その際に、一番重要なのは、形あるもの、見えるもの、すなわち「資料」にまとめることです。

これが担保になるのです。そうはいっても、猶予期間が過ぎれば返済が待っています。だから、常に信頼関係がついてまわります。

地域の企業と銀行は一心同体関係にあります。ちゃんとした銀行ほどこれらのことが非常にしっかりしています。

6ケ月後の朝一番のできごとです

朝8時に会社の前に大型トラックがとまり、以前の20%の原料をおいていったのです。

再開が始まりました。自宅待機の従業員を呼び、生産です。まだ、少量ですが下請も喜びました。しかし、完全に復帰したのはその半年後です。

こんな苦しい過ちは二度とあってはならない

この1年間、逆境にあえぎながら、生き残りを考えました。

  • 一つは「価値」だ。わが社の価値は品質、一本のねじでも異常がない。丁寧に作っている。前に打ち出してアピールしよう。
  • 二つ目は事業形態。一本足打法はダメだ。それで何かあったらどうしようもできない。複数の事業を持たなければならない。たこ足経営だ。
  • 三つめは「断る」のもビジネスだ。勇気をもって毅然としてダメなものはダメと主張しよう。

この1年で父母は著しく衰え、私が先の「三つ考え方」をベースにして社提として再出発しました。

今は安定した小企業になりました。

あれから15年がたち、徹底して「価値」を追い求め、年商5億円以上、従業員15人、3つの事業で日夜活動を続けています。

必要ならノーと言おう、従業員や地域や社会に還元しようをモットーにしています。取引企業も15社に増え、昨年は「宇宙ロケット」の部品に初めて採用されまでに成長しました。

先にも後にも、組織~組織、人~人、モノ~物のコミュニケーションだろうと思います。

会社経営をされている方へ

「明日はあしたの風が吹く」のだけれど、明日はどうなるか誰もわからないのです。

ですから、日ごろから準備をしておくことです。

ビジネスはお金だけではありません。思いもかけないきずなや友情が待っています。それを信じて、困っているひとや組織があれば、何か手をさしのべることです。助けるのです。

そういう勇気をもっていただければと思います。人や地域や社会に還元したことがいつかまた戻ってくるのです。

アメリカからまた電話がかかってきましたので、ここで筆をおきます。