こんにちはER看護師のヨッシーです。
6月に入りましたね。暑かったり寒かったりと気候の変化が激しいですね。
私もこの寒暖差で体がついていかなくなる時があります。
さて話は変わって沖縄ではしか(麻疹)が流行しています。
なぜこの時期に流行ってしまいこんなにも大騒ぎになっているのか?
今回はこのはしかについてお話しさせて頂きます。
沖縄ではしかが大流行したのはなぜか?
事の発端は海外からの観光客の方がはしかにかかっていて訪れていた沖縄で流行してしまったという経緯です。
はしかは感染力が非常に強いウィルスです。そのようなことも重なり大流行してしまいました。
ヨッシーのERにもはしか疑いの患者さんがきた!
私がお休みの日に三十代半ばの女性が蕁麻疹ができたと受診にきたそうです。
トリアージした同僚が蕁麻疹にしては膨隆していないしおかしいな?と違和感を感じたそうです。たまたま夜中で他に患者さんもいなくてという状態でした。
診察した救急医がはしかではないかと疑い検査キットですぐ検査しました。
熱も出ていてとはしかに類似している症状もありました。
幸い水分や食事も摂取でき対症療法としてお薬を出して帰宅しましたがお仕事はできる状態ではないので検査結果が出たら自宅に連絡することとなりました。
結局このかたは、はしかではありませんでしたが接触した事務員、看護師、医師は、はしかの抗体検査を受けることになりこの患者さんがはしかだった場合ワクチンを打つこととなっていました。
はしかは子供だけの感染症ではありません
はしかは免疫を持っていなければ感染する確率はほぼ100%です。
唯一の予防は予防接種です。残念ながら特効薬はありません。大人でもかかってしまいます。
しかも大人になってからかかってしまうと重症化しやすいと言われています。
だからこんなに騒がれている理由の一つです。
はしかは合併症が怖いところ
はしかで懸念されるのはその合併症なのです。命の危険も伴ってしまいます。
どのような合併症かというと肺炎と脳炎がはしかによる死亡原因となっているので軽視できません。
しかも先ほどお伝えいたしましたが大人の方が症状が重くなったりしてしまいます。
予防接種はどうなっているかというと1977年以前は任意接種で予防接種を受けても受けなくても良いということになっていました。
1988年に麻疹、風疹、おたふく風邪の混合ワクチンが認可されました。しかし髄膜炎などの副反応が多くこのワクチンは製造中止となり麻疹ワクチンに戻ります。
その間予防接種の接種率は低下が見られました。その後2006年より2回の接種が始まりはしかの感染者は激減したと言われています。
でもなぜはしかが流行してしまうことがあるのか?
日本では予防接種制度があり対策は施されています。
ではなぜでしょう?それは海外からの渡航者が自国で感染して持ち込んでしまうからなんです。
今回の沖縄での感染が例となってしまいました。
予防接種は大事です
なんでもそうですが感染症で予防接種で防げる感染症はできるなら予防接種を受けておくことが望ましいですね。アレルギーや副反応など心配なら医師とよく相談して決めましょう。大人はもちろん小さなお子さんもですよ。
ヨッシーが思いをはせた街の一つ高田馬場
ここからはヨッシーのプライベートな時間です。
私は看護師になる前にある電気会社に勤務していた事があります。
その会社とは肌が合わずわずか半年で辞めてしまいましたがその時会社の寮が高田馬場にありました。
最近ですが用があってものすごく久しぶりに高田馬場に行ってきました。
住んでいた寮は既にありませんでしたがどんな思い出この町に住んでいたのか?高田馬場はどんな町なのか?
ヨッシーが思いをはせた町のご紹介です。
高田馬場はもともと飲食店が多いところですがこのさかえ通りには飲食店が密集していてどんなお店があるのか見るだけでも楽しいですよ。お酒を飲むお店が多いのですが食べるところもいまは多いです。
私が住んでいた頃はキャバレーなどピンク店が多かった気がします。安くて良心的な食べ物屋さんもあって訪れた日は中華料理を食べました。
高田馬場の象徴といっても過言ではないほど有名なBIGBOXです。
確かに大きな箱のようですね。
私の記憶に間違いがなければこの中でボウリングをした記憶が残っています。
今はボウリング場はありませんがおしゃれなカフェやレストラン、洋服屋さんが入っていました。そんなに高いお店はありませんでしたよ。高田馬場は早稲田大学が近いので学生向きなのでしょうか?
地下鉄をよく利用して外出したものです。高田馬場は山手線、西武新宿線、地下鉄東西線があります。
よくこの出入り口から地下鉄の東西線を利用したものです。
こんなこと言ったら大変失礼なのですがドブのような匂いがして地下鉄という感じがしました(当時の話です)。今はそんなことはありませんが車両の色などは変わってなく昭和の時代を感じるとともに懐かしく思いました。
今は高田馬場に住むことはありませんがここに住んでいたときはいろいろな思いが交差していた時期です。
誰にでも思いをはせた場所というものがあると思います。
私は今回この高田馬場を訪れてよかった!懐かしい!という感情が湧き出て当時を振り返りいまがあるんだなあとしみじみと後にしました。