大震災への思いと看護師という仕事【看護師を目指した理由】

皆さんは看護師を目指そうとしたときあるいは看護師になったときどんな看護師になりたいと思いましたか?社会の役に立ちたい、人の命を救いたい。そんな熱い気持ちを持った方が多いと思います。私の場合はどうだったかというと、今振り返ってみてそんな熱い気持ちは持ち合わせていなかったと感じます。

看護師としての使命を感じたきっかけ

しかし今更と言われてしまいそうですがそんな熱い気持ちを持つきっかけというのがあります。それは東日本大震災です。

大規模災害や自然災害のことはテレビやラジオ、雑誌などで大きく取り上げられています。大変だな、かわいそうだなでも遠い地域での出来事だからあまり関係ないかな?という漠然としたというよりは全く無関係な出来事としてとらえていました。2011年3月11日午後2時45分私は夜勤明けでお風呂に入っていました。強い揺れを感じて一瞬いつもと違うことをすぐ感じました。

家には私が1人と猫と犬がいました。着るものも適当に着て犬と猫をリビングから抱えて庭に出ました。その時の揺れはすさまじく電柱や家、庭にあった車までもがダンスをするほど揺れていました。家族は買い物や学校に行っていて連絡をしようとしても電話や電子メールが不通になり言い知れぬ恐怖心が自分を包み込んできました。

それぞれみんな無事に帰宅しものすごく安心した思いと家族を失っていたらという恐怖心が今でも体に染みついて忘れる事ができません。ですから東北地方や関東の一部の被害状況がテレビなどで放映されるとはがゆい気持ちがこみ上げて来て自分には何が出来るのか?真剣に考えるようになりました。

ボランティアに参加しようとしたけれど

東日本大震災から1週間ほどしてから救急隊や地元医療関係者から構成されているボランティア団体に所属しているので、そこから医療の後方支援の募集があり真っ先に応募し現地入りを考えました。

職場の許可を受けなければならないので職場に相談しました。ところが「病院でも直接の被害は受けていない。しかし日常の業務も看護師が足りないので何もあなたが行かなくても誰かがやるから行かなくてもいいのでは?」と180°全く違う考えで許可が下りず反論しましたが、結局行けずに終わってしまいました。

災害に対するあの時の気持ちを考えると少しでも被災された方たちの役に立ちたい、貢献して復興の役に立ちたいという大きく強い気持ちがこみ上げてきました。その時に勤務している病院に色々と確認をしてみました。今後、大震災が発災した時の病院の体制はどうなのか?被災地への支援は行うのか?などどれも私の期待を裏切る答えばかりでした。

今後、看護師を続けて行くにあたりどんな方向性で行っていくべきかどんな仕事がしたいのか?ここで初めてどんな看護師になりたいのかを自問自答してみました。今後、このような大震災が起こらないという保証は絶対にありません。震災だけでなく大規模な災害にも立ち向かえるような看護師になりたいという強い気持ちを持つことが出来ました。

DMATになることを決意する

それからの自分の活動方針にのっとった生き方をするまでに時間はかかりませんでした。災害にも対応する災害拠点病院の救急部門に転職ができ災害時に強く対応できるDMATの隊員になることが出来ました。DMATとは特別な訓練を受けた機動性のある医療派遣チームです。構成は医師が2人、看護師が2人、事務員(業務調整員)1人という5任構成です。(チームによっては多少ですが構成は違ってきます。)隊員になるにはまず病院から選抜を受けなくてはいけません。

参考記事

災害時に大活躍するDMATの話【DMATになるためには】

特殊な看護師の仕事【DMATについて】

看護師としての将来の目標を決めるきっかけについて【DMATを目指した理由】

家族の同意を得ること、隊員になる適正と強い意志を持つことが大前提です。約4日間の講習会をDMAT本部のある大きな災害拠点病院で受講してテストもあり基準を満たさないとなれません。内容も実にタイトで密度も濃い内容でした。大震災や大規模災害は絶対に起こらないようにと毎日祈っています。

しかし何かが起きて災害派遣の要請があれば臆することなく出場します。東日本大震災が起きたときの熱い気持ちが私の中でまだ生きているからです。