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入社して半年で退職、両親から勘当され貯金30万円無職貧乏生活からの復活体験談

2017/09/28

私は数年前、大学を卒業し新卒として東証一部の化学メーカーに就職しました。

入社前は希望と期待にあふれていましたが、いざ働き始め企業の体質などを肌で理解し始めると、「このままでは自分が自分でなくなってしまう」という想いを抱くようになりました。

そして、入社してからわずか半年、退職願を提出し自分の人生をリスタートさせたのです。

この時から約半年間、私の困窮生活がスタートしました。その時期の状況やエピソード、出費を抑える工夫、復活への軌跡などについて体験談としてご紹介していきます。

両親から勘当され貯金30万円も底をつく、友人に借金し何とか食つなぐ

おそらく私のように短期間で会社を辞めた、という人は今の時代決して少なくはないでしょう。

しかし、私の場合は事情がそれだけではありませんでした。会社を勝手に辞めたことに憤慨した両親からは、ほとんど勘当に近い言葉を喰らい、私は次の仕事が決まっていないままに一人暮らしを始めたのです。

とにかく、住むところを探すために不動産屋にかけこみ、家賃6万円のアパートを借りることになりました。

総額30万円にも満たないわずかな貯金と寸志としての退職金は、その初期費用(賃貸料、敷金礼金、火災保険など)でほとんどなくなってしまいました。

家具などの出費を捻出するために、友人に借金もしました。

不動産屋の方には初期費用をだいぶ融通してもらうことができ、先のお金のことが心配だった私は、涙が出る程感謝しました。

同時期に、宅配便と塾講師の仕事、いくつかのボランティアを始めました。これらから得られる収入は、すべてを合わせても月15万円程度でした。

節約生活開始 計画外の出費とそれを抑える工夫

私の当時の暮らしぶりは今思い出しても「よく頑張ったな」と思える貧困さです。

色々な工夫で出費を抑えていましたが、計画外の思わぬ場面でお金が飛んでいくことになりました。その体験をいくつかご紹介します。

各種社会保険と税金 役所に相談が重要

今までは会社の給料から毎月自動的に落ちていた保険と税金。役所でその手続きをしていなかった私は、厚生年金から国民年金へ、社会保険から国民健康保険への切り替えを済ませました。

ほぼ毎月何とか支払うことはできていましたが、食費や電気・ガス・水道代を犠牲にしての生活が続きました。

アドバイスとして。条件によっては、一部金額が免除されたり時間が猶予されたりするケースもあるようなので、同じ境遇の方は役所に相談するなどして、賢く乗り切ってください。

そして、税金です。中でも私が計画できていなかったのは、ずばり“住民税”。

「住民税支払い通知」がポストに届いていた時は、かなりショックを受けたことを鮮明に覚えています。これらの出費は合わせて月に3.5万円ほどだったと記憶しています。

生活費全般 カップラーメンの残り汁も調味料に

生活費節約においてもっとも基本的な姿勢、それは「○○ないこと」です。

まず極力「食べないこと」と生活のリズムとして習慣づけようとしました。(不健康ではないのであまりお勧めはできませんが…)

また、スーパーなどで食品を買うときも、時間帯は閉店間際で、半額シールが貼ってあるものが中心。カップラーメンの残り汁は、翌日まで残して置き、調理に使うなどしました。

特に電気代に関しては「使わないこと」を心がけたので、仕事から帰宅しても、休みの日に家にいても電気なんてほとんどつけたことがありませんし、コンセントも常時つけているのは冷蔵庫くらいでした。

そんな、生活でしたので電気代は月に千円もかかっていません。

収入から支出を引くと…

ここまで述べた支出に加えて、スマホ代とインターネットの月々料金(計1.5万円)を私の当時の収入(15万円)からマイナスすると、手元に残るのは2万円前後です。

さらに、ここから友人への借金を返したり、避けられない雑費も必要だったりしたので、プラスマイナス0に近い生活が続きました。

貧乏生活から復活できたの「周りの人たちの支え」

困窮生活から復活に導いてくれたのは、ひとえに「周りの人たちの支え」があったからです。

前述したように私は、宅配便、塾講師の仕事に加えて他にもいくつかの仕事をしていました。

さらに、ボランティアで出逢った人たちとの交流もありました。

それは生活費を抑えることにもつながりましたが、何より精神的に、「絶対この困窮から抜け出して、幸せになってやる!」という私の気持ちを支えてくれるものでした。

メルカリで副業も

さらに、困窮生活の後半はスマホのアプリでモノを売ってお金を稼ぐ副業にも少し取り組んでいました。“メルカリ”というフリマアプリです。

不要になった本や家電を見つけては、ネットで売り、収入を得ていました。昨今、“せどり”とも呼ばれている手法にも近いかもしれません。

月に1万円程度の収入にしかなりませんでしたが、私にとっては大きな収入でした。

メルカリについては以下の記事で詳しく書いていますので参考になればと思います。

メルカリはお金がない人におすすめの副業 ~家にあるもので1万円稼ぐ~

両親とも和解 通信大学に入学し教員免許を取得

両親とも少しずつ連絡を取るようになり、今では和解しています。

その後、そのまま一人暮らしをしながら通信大学に入学。教員免許を取得し、現在に至ります。

将来的には教員を目指すつもりですが、今はライターとしての仕事と教育関係の仕事を中心にしています。収入も困窮時代の倍近くまで安定しているので、社会的にも生活的にも復活できている、という状態まで復活しました。

同じ境遇の人へのアドバイス

「出費を計画的に削りながら収入を少しでも増やしていく」、というのは言うまでもないアドバイスです。それに加えて、私がもっとも言いたいのは、お金がなくて困っている時は「他人を頼ること」も必要だということです。

他人を頼ると、「甘えてはいけない、自分がしっかりしなくては!」という想いに自然になります。その気力が困窮生活を支え、ひいてはその生活から抜け出すためのバイタリティとなり、復活への鍵となるのです。

⇒メルカリで月1万円の副収入を