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ブラック企業 塾講師 男性 貧乏脱出体験談

ブラック塾企業に入社し、バツイチうつ病からの復活劇

2016/07/13

初めまして。塾講師をしているハルと言います。

現在33歳でバツイチの私は、学生時代からいいことも悪いこともたくさんの経験をしてきました。

幼いころ、両親はケンカの毎日でした。夜になると、怒鳴り声と物が壊れる音が鳴り響いていたのを覚えています。父が暴力をふるったり、母は夜中に泣きながら家を飛び出したりと子供ながらにとても苦しみました。

そんな私は、「将来、絶対幸せになる」と心に近い、学生生活を過ごしていました。

そんな私の体験談を、ぜひ、読んでいただけたらと思います。

塾講師として就職したものの奨学金返済に苦しむ

学生時代、内定も早々に決まり、待ちに待った入社の日。

私は、「この企業で偉くなりたい。安定した収入を得て、幸せな家庭を築くぞ」と心に決め、ドキドキを抑えながら初出勤をしました。

父親は自営業を営んでいましたが、あまり仕事がうまくいっておらず、収入がほとんどない状態でした。

生活するために、母は朝から晩まで働きづめ。

それでも自由気ままな生活を送る父のため、消費者金融で借金をしていました。そんな母でしたが、帰宅すると決まって2人はケンカをする毎日。止めに入っても、喧嘩は続行していました。

そんな親を見て、幸せになりたいという気持ちを強く持っていたのです。

ところが、私には1つ、問題がありました。

それは、多額の返済を抱えた状態での社会人のスタートだったのです。

今、大学生の半数以上が奨学金を借りているそうです。

「大学の費用は出してやる。」と父親は言ってくれましたが、仕事がうまくいかず、すべて自分で支払う日々。

始めは5万円だけ借りていた奨学金も、父や母の借金返済で家庭にお金がないことが多いので、生活費として家に入れなければならない状態でした。ですから、自分でバイトをし、大学の費用を稼いでいたのです。

だからこそ、仕事をして、偉くなって、お金を稼いで、幸せな家庭を作りたいという気持ちは人一倍強かったのです。

そんな僕に待っていたのは、厳しい現実でした。

ブラック企業に入社してしまったことに気づく

入った企業が、ブラック企業だったのです。

求人票には、月収20万8000円+諸手当と書いてあったのですが、実際に支払われたのは、20万8000円のみだったのです。

その中で基本給、校舎移動費、時間外労働比が組み込まれているという形でした。

さらには、入社前に聞かされなかった「試用期間3か月」。この間は8割の給料しか支払われなかったのです。

勤務地も実家から2時間のところなので、一人暮らしをせざるを得ませんでした。車も必要で買ってしまったので、生活費と車のローン1万円、奨学金の返済は月4万円で入社当時からお金のない生活が始まったのです。

「辞めてしまおう」すぐに僕は思いました。しかし、就職難の時代でしたから、すぐにいい就職先何て見つからない。

さらに、仕事を探している間も返済はずっと続いていきます。僕は辞めたくても辞められない状態にいたのです。

生徒から嫌われ学級崩壊状態に

さらに、僕を苦しめる出来事が次々に怒ります。まず、日々の仕事がうまくいかないことです。

生徒から「気持ち悪い」「分かりにくい」「嫌い」などと言われ、授業は学級崩壊状態。その状態の報告を社長にすると、深夜12時から明け方まで怒られる日々。さらには、業務時間内だけでは到底終わらない仕事の数々。

入社して間もなく、僕は不眠症にかかってしまいました。眠れない日々が続いても、会社にはいかなければなりません。

そこで更なる悪い結果が出ました。生徒評価と定期テストの結果が社内最下位だったのです。

生徒に嫌われようが、どれだけ怒られようが、生きていくために頑張るしかないと思っていた僕の心を完全にへし折る出来事でした。

そんな時、当時、付き合っていた彼女が妊娠してしまう

そんな状況下で、当時、付き合っていた彼女が妊娠をしたのです。

収入もなく、大量の返済があり、仕事もうまくいってない僕に幸せにできるのか。心から、自信がなかったです。

それでも、新しく預かった命を捨てることなんて僕にはできませんでした。そう、プロポーズをしました。

その頃から、僕に変化が生じたのです。

私は、妻と新しく生まれてくる子供に誓いました。

「この会社で、絶対偉くなる。そして、2人を幸せにする。」

うまくいかないなって悩んでる余裕は私にはありませんでした。とにかく、結果を残さなければ、収入は増えません。逃げない覚悟を決めた僕は、夢中になって仕事をこなしました。

授業の練習をしたり、内容を頭に叩き込んだりしながら、大量の業務をこなす日々。休みなんてありません。

会社が休みでも、私に休んでる余裕はないので、自宅や会社に行って勉強をし続けました。そして、2年、3年と経っても、結果は全く出ませんでした。それでも、私は逃げてはいけないのです。

入社当時の状況に加えて、家庭を守らなければならないからです。頭に浮かぶことをすべてやっていきました。

努力はきっと報われる・・・

そんな僕に転機が訪れるのです。

入社4年目で教室長になりました。

それでも給料はほとんど増えませんでした。

ならば、誰もが認めるしかない結果を取ろう。そう心に決め、仕事に取り組むのでした。

家庭を顧みることなく…。

教室長になって間もなく、家庭は冷え切っていました。それもそうです。朝から仕事に行き、夜遅くに帰ってくる。

収入も少なく、家計は火の車。会話どころか、ほとんど顔を合わせることがなくなっていたのです。

そして、妻の口から「もう耐えられない。離婚してほしい。」

僕は必死に謝りました。お願いだから、別れることだけはしたくないと、妻に初めて泣きつきました。

しかし、結論は変わらず、離婚することになったのです。

離婚後は荒れる毎日

僕は荒れました。毎日家に帰ってはお酒を飲み、ビールでは酔えずにウイスキーをロックで一気に飲み干し、ベロベロ状態で眠るというより、記憶を失う日々。

愛する妻にもう会えない、娘と手を繋ぐこともできない。

もう、絶望的な状況でした。そして、車と奨学金の返済、さらには養育費と慰謝料を支払わなければならない状態でした。

お金もなく、借金もありましたので、月々の支払を滞らせないために複数のクレジットカードで支払を遅らせて生活をやりくるする裏ワザで書いたような方法もとって必死に生活していました。

いっそ、死んでしまおうかと何度思ったことか。それでも、死ぬことは離れて暮らす妻と子供を苦しめることになると思い、さらに仕事に打ち込むようになりました。

そんな時、給料が跳ね上がる!

そして翌年、給料が跳ね上がったのです。

年収300万ほどだった給料が、100万アップの400万円になりました。ずっと頑張ってきた結果が、ようやく帰ってきたのです。

そしてさらに翌年、最初は最下位だった生徒評価と定期テストの結果で1位を取ったのです。

これまでの頑張りが、すべて報われた結果でした。ようやく、僕の生活も安定へと向かい始めました。

出世する方法は給料をアップさせるコツとは?出世する人の特徴を知るで書きましたので参考にしていただきたいです。

その後、年収はさらにあがり、30歳で500万円に乗りました。

そして、休日も増え、収入も安定し、すべてがうまくいっているはずでした。

そんな安定した日々も崩れ去ってしまう事件が

しかし、そんな安定した日々はもろくも崩れ去るのです。

ある日、起きて会社に行こうとすると体が動かないのです。

起き上がることができずに、遅刻の連絡を入れようとしましたが、遅刻の度に給料から天引きされるブラックなシステムを取っている会社なので、這いながら浴室へ行き、シャワーを浴びてムリヤリ出社を続けていました。

このころになると、増えたはずの休日が部下のミスの挽回の時間になったり、管理職という立場の業務も膨大になり、気が付くと休みのない生活に舞い戻っていたのです。

そして僕は、病に倒れるのです。

診断結果は「うつ病」。

休職を余儀なくされました。

休職中の会社の対応は、一切の対応をしないというものでした。

有休休暇なんてなし、保障もしない、手当の手続きはめんどくさいから自分でやれ、辞めても退職金はなし。

このときほど、会社に怒りを覚えたことはありません。そして、それならと休職をせず、退職の道を選びました。

頑張ってきたものをすべて失った瞬間でした。もう何も僕に残ってない。

一本の電話から道が開ける

そんなときです。一本の電話が鳴ったのは。

遠く離れる友人が、大学卒業以来初めて連絡をしてきたのです。

「塾講師、どうなん?」
「うつで辞めちゃってさぁ」
「そうなん?」

そして僕はこれまでのことをすべて友人に話したのです。

すると友人は

「大変だったなぁ。あ、それならこっち来て一緒に仕事やろうよ。今度、新規事業をいくつかしようと思ってて、お前が来てくれるなら学習塾を始めようと思うけど、どう?」

ありがたい言葉でした。

もうこの先、どうしていいかわからなかった私には心が洗われるような話でした。

今、新規開校に向けて準備をしている最中です。

そしてその間、従業員として構想を練る形になり、退職時よりも多い給料を準備してくれています。さらには新しい出会いもあり、来年の春、二度目の結婚をすることになりました。

思うに、不幸だと思う状況は、きっと誰にでも訪れるものです。

その状況下で、僕は精神的に強かったわけではなく、逃げ出すことができない状態でした。だからこそ、本気で仕事に向き合えたんだと思います。

その代償に、家族を僕は失いました。さらには、打ち込んできた仕事も一度、失いました。

でも、頑張ってきた過去は、未来に繋がっているんじゃないかと思うんです。辞めたい中でも頑張った仕事でつけた力が、ありがたい話に繋がったように、過去の頑張りは必ず未来に繋がるのです。
それが、どういう形でかはわかりません。

それでも、人生って嫌なこととか苦しいことばかりじゃないと思います。

今、苦しんでいても、それは今だけなのです。未来が見えなくて不安でも、不安なだけで未来は確定していないのです。

ですから、今苦しんでいる方も、その苦しさに負けないで、頑張ってほしいです。頑張りまくってください。

周りから見たら、決してスマートではないかもしれません。でもいいじゃないですか、スマートじゃなくても。カッコ悪くても、ダサくても、はいつくばってでも、幸せを目指して生き続ける姿は、きっとどこかで誰かが見てくれています。

それを信じて、人生を突き進んでください。苦しい状況にある人は、平穏な人よりも生きようとする意志が強くなります。その意志が、幸せを引き寄せるんじゃないかと私は思います。