残金320円、笑顔で貧乏を脱出するには?母子3人貧乏生活の体験談
2018/11/12
家族構成:母・私・弟(当時)
年齢:大学3年生(当時)
現在年齢:30代
お金がなくなった理由:父親のDVから逃れるため残金320円で夜逃げしたため。
現在は旦那と2人の子供としあわせに暮らしている30代のパート主婦です。
旦那とケンカすることもありますし、子どもには大声をあげてばかりですが、これがいわゆるフツーの生活かと噛みしめながらの毎日です。
というのも、母、弟とともに父と過ごした日々が悲惨なものだったからです。そこから勇気を持って立ち上がり、貧乏を体験しましたが、一歩また一歩と今日まで歩いてきました。
こんな私のエピソードをお話しますね。
父親のDVに怯え、家族が限界を感じる
うちの父の暴力はひどいものでした。
母に対してはもちろん、私たち子どもにも機嫌が悪ければ容赦がありません。
今でならDVだと警察も動くでしょう。
幼児・児童虐待だと役所もかけつけるかもしれません。
でも、当時はそんな時代ではありません。
私が頰に手形をつけて学校に行ってもそれを追求してくれる先生はいませんでした。
物を投げられ、平手で、拳で殴られ、刃物を突きつけられて、蹴り上げられて投げ飛ばされる。
なにが導火線となって暴力がふるわれるのか全くわからないため、ただただ息を殺すように生活しているだけでした。
そんなことが慣習となる日々は自分たちを責めることであっという間に過ぎていきます。
しかし、母が50を目の前にし、私が大学3年生、弟が高校生となった時、私たちのストレスは極限でした。
このままでは、今晩にでも3人のうち誰かが父親を殺してしまうかもしれないという危機的な状況。
弟が社会に出るまでは我慢すると言っていた母は家を出ることに決めたんです。
極貧生活を覚悟して夜逃げを決める…が残金320円
とはいえ、正攻法で離婚してお別れできるはずはありません。
私たちは「夜逃げ」を選びました。
もちろん、私も弟も学校がありますから、そこに父が乗り込んでくる可能性はありました。
でも、「もう散々と恥ずかしい思いはしてきた。
今さら父が学校に乗り込むことくらいどうにかなる」と、いきなり消えることにしたんです。
まずは弁護士に相談し、母と私は弟と3人で住む小さなアパートを借りました。
そして、昼間にそこへ少しずつ荷物を運びました。
家具やテレビなど、父が異変を気づくものは思い出があっても置いていくしかなく寂しかったですが仕方ありません。
主に本や服などを昼間にせっせと運びました。
そして、父が飲みに行って遅くなるという日、私たちは置き手紙をしてついに家を出たんです。
父が厳しく週に数日のパートしかできなかった母が、自由になるためにとこっそり貯金していたお金。
それは、弁護士費用を支払い、アパートを借り、必要最低限の家電を購入し、残金320円でした。
貯金通帳を開き、「残り320円やで」そう母が言った時、私たち3人は大爆笑してしまいました。
母の言葉が支えとなり、ぎりぎりの生活をつらぬく
私も弟も学校をやめて働くと母に言いました。
しかし、母は「今だけを見ていたらあかん。将来を考えたらちゃんと卒業して就職せな一生320円や。
それでは誰も幸せになられへんで」と私には就職活動の続きを、弟には大学進学をすすめました。
早朝のパートと昼間のパートを掛け持っても母の収入には限りがあります。
私も就活をしながらのアルバイト、弟は高校生で出来る範囲の仕事でお小遣い程度の稼ぎでした。
こんな私たちが生活をするためには節約しかありません。
アパートの家賃と生活費に加えて、私たちの学費、そして弁護士への費用と証拠のために探偵をお願いすることもあり、その費用もかさみます。
節約するしかありません。
節約、さらに節約、もっと節約しなきゃいけない状態
まずは電気代です。
「寒い暑いは気合で倒す!」とエアコンは極力つけないように我慢です。
近所の魚屋さんで魚の下にひいていた氷をもらい扇風機の風に当てて涼むこともありました。
水道代もガス代もかかるお風呂はカラスの行水を心がけました。
バスタブにお湯をためるのは「ご褒美」と呼んでいました。そして、変動が大きいのが食費です。
食べ盛りの高校生男子である弟は食べ物屋さんでのアルバイトを選び、そこでたらふく食べるようにしてくれました。
メニューはもやし丼、もやし炒め、もやしサラダともやしのヘビーローテション。
もやしすら高いというある日はごはんの上におにぎりが乗っていました。
「おにぎり丼や。珍しいやろ」
伝説のメニューです。
節約について書いた記事はこちら
→3人家族の節約生活のコツ!極貧生活を乗り切ったアイデアがすごかった体験談
離婚して子供は就職と進学へ前進することができた
離婚が簡単だったわけではありません。
アパートを突き止めた父が殴り込んできたことは何度も何度もありましたし、弟の学校に「退学させる」と酔って電話されたこともありました。
それでも、正式な手順で離婚となれば不利しかないのは父。
慰謝料もなにもなしで約2年半かかり離婚へこぎつけました。
そして、その間に私は就職。
新卒女子の給料は高くはありませんが、安定したお金が入り、弁護士などの費用も不要になった私たちはどうにかおかずとごはんを食べられる生活へとたどり着きました。
今、貧しい生活をしている人へ
私たちが極貧生活を抜けられたのは単純な節約と地道な労働でしかありません。
みなさん、そうして生活している方が多いと思います。なので、私がアドバイスしたいことは心の持ちようです。
「貧乏や辛いことを笑いに変える力」が大事だと思うんです。
家を出た時の320円は今でもネタで、なにかが320円だと「ラッキープライスやん」と私たちは言い合っていました。
おにぎり丼もバスタブのお風呂をご褒美と呼ぶのも、明るく笑い飛ばせたからやり切れたんだと思います。
1円は2円になり、いつか100円にも1万円にもなります。
ないものを数えず、あるものだけを数えて、笑ってコツコツと明日、また明日と暮らしてくださいね。