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日本人の9割以上はマイルドヤンキーという事実

      2017/10/23

photo credit: Dick Thomas Johnson via photopin cc
どうも、heyhojournalです。
まだ2014年も折り返し地点に来たばかりだと言うのに、「STAP細胞」「ゴーストライター」や「ワールドカップ」に「セクハラ野次」など、話題を呼んだ言葉が今年は目白押しです。その中では若干存在感薄めですが、今回は「マイルドヤンキー」について取り上げたいと思います。

photo credit: Dick Thomas Johnson via photopin cc

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マイルドヤンキーとは

マイルドヤンキーの発祥と定義

マイルドヤンキーとはゼロ年代後半以降の、極めて地元志向な若者全般に対する呼称だが、その言葉自体は2014年に入ってから生まれた。
生みの親は、博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダーの肩書を持つ原田曜平氏である。彼の著書『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』が発売されるやいなや、瞬く間に「マイルドヤンキー」という言葉が世間に広まり、物議を醸した。この本では、近年の若者の特性が徹底的に分析されている。この本に挙げられているマイルドヤンキーの主な定義をまとめるとこのような感じだ。

・都心に出ない

・地元の友人との繋がりや絆を何より大事にする

・遊びはもっぱらイオンモール

・EXILE好きが多い

・生活の全てを半径5km以内で完結させる

・車移動が中心

・現実的な夢(マイホームや給料アップなど)を描き、上昇志向が薄い

もちろん全てのマイルドヤンキーにこれらが完全に当てはまる訳ではないが、地方の若者(この本では東京郊外の若者も含まれている)の傾向として的を射ている部分は非常に多い。

マイルドヤンキーは幸せか?

かく言う僕も、20代前半頃はこの本に書かれている若者に近い部分があり、読み進めると共に当時付き合っていた女性との日々を思い出してしまった。お互い実家住まいで、デートと言えばしょっちゅうイオンモールに出かけ、月に2、3度足を運ぶ回転寿司に舌鼓を打ち、自分の給料の範囲内で夢を描いていた。あいにくEXILEは嫌いだったが、湘南乃風やPUSHIMなどのジャパレゲをカーステレオで流し、二人で大声で口ずさみながらドライブを楽しんだ。こうやって改めて当時を振り返ると、それらはとても良い思い出で、そういうマイルドな人生をそのまま歩み続けていても充分幸せだったのではないかとすら思う。とはいえ、過去の思い出というものは得てして美しく見えるものなので、実際のところ当時の僕はどこかに閉塞感やフラストレーションを抱えていたからこそ、今は別の生き方を選んでいるのだろうけれど。
それで、そういった範囲の狭い世界での人生に一切のフラストレーションを抱えることなくむしろ迎合しているのがマイルドヤンキーと呼ばれる若者たちだ。彼らは、きらびやかでセレブな生活を「諦めている」のではない。そもそも最初から「望んでいない」のだ。ただ、そういった生き方は決して悪いことではないと僕は思う。自分自身が完全納得しているのならば、六本木界隈の社長だろうがマイルドヤンキーだろうが、幸福度に差は無いと思うからだ。むしろ彼らより圧倒的に華やかな人生を歩んでいたであろうはずのリケジョや難聴の音楽家、薬物依存のミュージシャンに比べるとマイルドヤンキーの方が幸せな人生と呼べるのかも知れない。

「生き方」レベルで見ると日本人のほとんどはマイルドヤンキー

笑い者にされてしまったマイルドヤンキー

そもそもこの『ヤンキー経済』は、マイルドヤンキーのパターン化されたライフスタイルにスポットを当てたマーケティングがテーマの本である。そして、この本に対するネガティブな評価の一つとして「都市部の人間が地方の生活を見下している」というものがあるが、そんな事はない。むしろここまで地方のライフスタイルに密着し、分かりやすく解説されている本は他にはないだろう。
が、しかし、この本を読んだことがきっかけで、昔から存在していたマイルドヤンキー層に対して、偏見にも似た妙な意識を抱いてしまうようになってしまったのは事実だ。例えば、それこそ休日に訪れたショッピングモールなんかで彼らのような人種を見かけると、「あ、マイルドヤンキーだ。さすがはショッピングモールだなぁ。」みたいにまるで動物園でお馴染みの動物を見た時のような感想が漏れてしまうし、彼らの生息域ではない大都市の街中で見かけると、「お、珍しいな。野生のマイルドヤンキーか?」なんて思ってしまう。こんな事はこの本を読む以前にはなかった。僕はマイルドヤンキーの事を全く見下しているつもりはないし、むしろそっち寄りの人間だったと言える。にも関わらず、この本を読んで以降今まで意識していなかったマイルドヤンキー層に対して、嘲笑のような、見下すような思考を抱かされてしまうところがなんとも恐ろしい。しかしその一方で、ライフスタイルというフレームを外し彼らの「生き方」を読み解いていくうちに思わぬ事実に気付かされることとなる。

マイルドに生きるか、挑戦的に生きるか

おそらくこの本を手にした人は、少なからず僕のような反応をマイルドヤンキーに対して示すようになるはずだ。さっきも言ったがそれは残念ながら彼らを見下すような部類に入る反応だと思う。だが少し考えて欲しい。自分はどうなんだ、と。自分とマイルドヤンキーと、一体何が違うんだと。
確かにライススタイルは全くと言っていいほど違うし、都心で働くビジネスマンは仕事でもプライベートでも彼らより広い世界で活動しているかもしれない。だが、毎日同じように会社に通い、同僚との週末に飲むビールに幸せを感じ、年に一度の海外旅行を望みに日々を過ごす。これはマイルドヤンキーの生き方そのものではないか。何てことはない、たとえ半径5kmの活動域が10kmになろうが100kmになろうが、ほとんどの人間は安定志向でマイルドな人生を求めているのだ。もちろんその生き方それ自体は悪ではない。マイルドな幸福を享受し安定を追い求め続けるのか、トラブルや失敗のリスクを覚悟で挑戦的な人生を歩むのか、どちらを選ぶかは個人の自由である。だが、この本に登場するマイルドヤンキー達の生き方に魅力を感じないのであれば、彼らを笑う前に後者の人生を取るべきであると僕は思う。

 - 賢くなれる本