2016年7月看護師日記 ~実習の思い出~

こんにちは。ER看護師のヨッシーです。とても暑くなってきましたね。

今月も月別看護師日記始めさせていただきます。

今私たちの病院に大勢の看護学校の学生さんが病棟の方に実習を受けに来ています。

看護師の資格を取得するにはこのような病院実習を受けてレポート提出し単位を取得しなければなりません。私は准看護師から看護師になったのでそれぞれの養成機関で病院における臨床実習を受けました。

この病院の臨床実習は将来看護師として働く場合看護学生が初めて臨床を経験する場であり非常に重要なウエイトを占める学習の場だと思います。

初めての病院、初めての臨床の場、初めての患者さんとのふれあい、初めての先輩看護師から受ける指導。何もかも初めてで緊張感も高く体の芯まで固まってしまったのをよく覚えています。

皆さんも現在看護師として働いているなら臨床実習は避けては通れず受けてきたと思います。どんな思い出がありますか?

今回はヨッシーの看護学校時代の臨床実習のお話をさせていただきます。

臨床実習の場所は様々

私が通学していた看護学校は臨床実習の病院が一箇所ではありませんでした。そのためそれぞれの場所へと実習領域が変わるたびに違う場所へと移動しました。

私は類を見ない方向音痴なのです。地図が読めないのです。そのため地図と反対方向に行ってしまったりすぐ近くに実習病院があっても通り過ぎてしまったりと苦労しました。

でも恐れていたことは数回起きてしまいました。それはなんだかわかりますか?そうです!方向音痴ゆえの遅刻です。

これはとてもいけないことなんです。実習時間が足りなくなってしまい補講の対象になってしまいます。

「ヨッシーさんあと一回遅刻したら留年と思ってください」と教務に呼び出されて最後通告を言い渡されてしまいました。

みなさんは絶対にそのようなことになってはいけません!ヨッシー最大のピンチをどのように乗り切ったかというと実習先の病院に前日偵察に行ったのです。

最寄り駅からの道順や目印を確認しその後からは遅刻はしませんでした。方向音痴の学生さんへ実習病院への道順はよく確認しましょう。

実際の臨床実習では

まず更衣室で身支度を整えます。持参物も忘れもんがないように確認し教務担当の先生と実習場所へ移動します。病棟のナースステーションに到着するとスタッフに元気よく大きな声で自己紹介を兼ねて挨拶します。

「今日からしばらく実習でお世話になります。○○看護学校のヨッシーです。本日の実習目標は患者様とコミュニケーションをとり臨床実習を有意義にさせていただくための第一歩とすることです。よろしくお願い致します!」といった感じで実習の朝はこんな感じで挨拶します。

もちろんその日その日の実習目標は変わっていきます。

担当する患者さんも病棟師長に選んでいただき患者さんにも許可をいただきます。初日は担当する患者さんの情報収集から始まります。現病歴や既往歴、現在の治療方針、家族歴などです。

そしていよいよ指導者とともに患者さんのもとに行きます。

緊張のせいか自己紹介もしどろもどろで何をしゃべったのか覚えていないほどに緊張です。

簡単なケアを指導者とともに行いお話をしたり点滴の様子や検査の介助の見学をしたり食事の様子を見学したり面会に来た家族に挨拶をしたりとめまぐるしく緊張の中、実習を受けていたのを覚えています。

臨床を長く続けてきたヨッシーも臨床の第一歩はここから始まっています。とてもとても小さな第一歩ですが皆さんもいつかは偉大な一歩だったと自負することができる時が来るでしょう。

臨床実習の思い出は臨床実習でのくも膜下出血の患者さんとの思い出の記事でも書いていますので参考にしてくださいね。

故郷に思うこと

さて、プライベートな話題に移りたいと思います。

私の故郷は関東近県のとても小さな市でしかも町はずれにある田舎です。今でこそは道も住宅も整備され住みやすくなってきました。先月久しぶりに実家に帰ってみました。なぜか思うことがたくさんあって懐かしさもひとしおでした。

7月看護師日記1

そこには年老いた母と妹夫婦が住んでいます。実家と言っても私はもう何年も出て行ってしまい家も改築され昔の面影は少しも残っていません。その日実家には母しかいなかったのでリビングでお茶を飲みながら昔話に花を咲かせていました。

母も歳をとり顔や手のシワも増えてきており何かもっと親孝行ができないかなと心の中で思いました。幸いにして持病もなく少し太り気味なので食事に気をつけるようにと時々風邪をひくと通院するお医者さんに言われるくらいです。

7月看護師日記2

私が小学生の頃は緑がとても多く夏はクワガタやカブトムシやトンボやカエル、ザリガリなどを山や川、小川などでとって遊んだりしていました。田舎の家だったので庭も広く亡くなった父の趣味で植木も植えていて知らないうちに蜂の巣までできていて刺されたこともありました。

電車も電化はされましたがいまだに単線でそのせいか本数も少なく最終列車も早い時間でなくなってしまいます。

でもここの土地は間違いなく私が育ったところたくさんの思いが交差し思わず目をつむり庭に出て思いっきり深呼吸をしたら小さな時の出来事が蘇ってきました。父に怒られて家から追い出されたこと、同級生と喧嘩して泣いて帰ってきたこと、夏休みに朝早く起きてラジオ体操したこと、家族で借りた畑で農園を作りとれた野菜を食べた時美味しかったこと、その時に作ったスイカを家の近くの路上で売った時に完売して父が嬉しそうにしていた時の顔。

私はまたここに帰ってくるでしょう。でも人間として看護師としてその度に成長して帰ってこようと心に大きく誓いました。