日本人の看護師が海外で働いた時の体験談【国際緊急援助隊で東南アジアへ】

日本の看護師が海外で働きたいという気持ちや夢は多からず少なからず誰でも抱いたことがあると思います。

言葉の壁の克服

私もその一人でしたが躊躇してしまったことが幾つかありました。まずは言葉の壁です。海外には様々な言語があります。その一つ一つを理解することはまず不可能だと思いますが、近年では英語が世界各国の公用語になっています。

とはいえ英語を日常生活ならまだしも難解な医学用語を英語で話し理解するのは非常に難しいことだと思いました。私はたまたまある米軍の基地の近くに住みことがあり、なぜかアメリカ人の友達もできました。もっと英語が話せるようになりたいと思い英会話の塾にも通い何か話せるようになりました。

看護師を目指した理由

誰でも小さい時、将来はどんな職業で働きたいか夢を見ますね。男の子だったら野球やサッカー選手、女の子だったらお嫁さんや学校の先生など様々だったと思います。私は大学まで進み電気に興味があったので工学部の電気工学科に進みました。将来は電力関係の技術者として働きたいと思っていたので一生懸命勉強して来ましたが父親が病に倒れた時がありました。

その頃は実家を離れて暮らしていたので実情はよくわかりませんでした。自営業だったのでやっと軌道に乗ってきたことを聞いていたので少し嫌な予感がしました。家族が病気になった時父が入院することを聞いたのはしばらくしてからのことでした。病院とは全く縁もゆかりもない私にとっては「なんて殺風景なところなんだ。」と感じましたがやがて父の病状を聞いてきた母が私に「癌で手術をしなければなおらないみたい。」とぽつんと言われました。

それは衝撃的でまさに頭が真っ白になったという表現がぴったりでした。

父は手術を受けて合併症を発症し半年で父は亡くなりました。その頃は大学も卒業して働いていたので何か風穴がぽっかり空いたようで働いていても虚しくなりました。「もっと何かしてあげられたことがあったのではないか?そのためにはどうすればよかったのか?」自問自答しました。

父が入院していたことを思い出し看護師になると決意し、会社を退職し翌年看護専門学校に入学しました。

海外で看護師として働きたい

看護師になってから総合病院で経験を積みながら働いていました。ネットやテレビのニュースで海外の災害や紛争でたくさんの方々が傷ついて倒れているのを見ていると、いてもたってもいられませんでした。

その時海外で看護師として働くにはどうしたらよいかということを本気で考え実行しようと思いました。英会話の経験がありましたがそれだけでは公的な資格ではありません。TOEICで高得点を取る必要があり、それが世界の公用語である英語が話せるという資格でもあるのです。(参考:海外で看護師として働くためには【ナースプラクティショナー(PN)について)勉強を重ね高得点を得ることができ次はどうすれば海外で働くことができるかを調べました。

国際緊急援助隊との出会い

ネットで調べるうちに国際緊急援助隊を知ることができました。

援助や支援の内容によって隊の編成が違いますが医師や看護師が編成される隊に存在することがわかりました。隊員になるには強靭な肉体と精神それと看護師免許、英語力でした。試験という試験はありませんでしたが人物評価や身体測定は重要視されました。私は晴れて隊員になりましたが要請がなければ平時は病院勤務です。

しかし、ある東南アジアの国で大型の台風や地震で多くの人々が被災され出動の要請が私の元に来ました。病院に事情を説明し快く休職扱いにしてくれました。荷物をまとめパスポートも必要なためあらかじめ取得する必要があります。飛行機で現地の到着し被災地の救護所の一つが勤務する場所です。

実際に海外で働いてみて

日本との医療事情とは全く違いました。人々のうめきこえや泣く声簡易的な医療設備、不衛生さやおまけに治安の悪さもありました。被災された方々は英語を話していましたが、片言でしかもなまりのようなものもありよく理解できませんでした。医師の診察が救護所内で始まりました。そこには日本だけではなく他の国からも来ていました。

一ヶ月ほどで次の隊と交代し帰国しましたが、辛かったというのが本音です。でも被災された方々はもっと辛いのです。海外で自分ができたことを誇りにこれからの看護師人生に大きな自信になったことは言うまでもありません。