茨木、宮城での洪水災害に寄せて【避難所でのDMAT医療活動】

2015年9月11日、東日本大震災がまだ四年半前に発生して復興途中だというのに未曾有の大災害が再度に渡り残念ながら発生してしまいました。東日本、主に茨城や宮城県で大きな被害が出てしまいました。

その中には亡くなってしまった方がいらっしゃいます。

家を流された方壊されてしまった方、浸水してしまった方。言葉では言い表すことができないほどの被害、悲しみ、別離、苦しみを味わってしまいました。心よりお悔やみお見舞い申し上げます。

幸いにして私が住んでいる東京寄りの南関東では大雨や突風がありましたが浸水した家、崩壊した家、流されてしまった家、亡くなってしまった方はいませんでした。

私の友人も茨城のちょうど洪水の被害にあってしまった地域ですぐに連絡をしましたが電話が通じず、Eメールやラインなどでも連絡を何回もとってみましたが連絡がつかず眠れないほど心配してしまいました。

二日後にラインで無事が確認されマンション住まいですが、一階が完全に浸水し身動きが取れなくなったところに自衛隊の救助隊に救助を家族ごとされたそうです。マンションの三階に住んでいますが被害はなかったとのことで胸をなで下ろしています。そのまま避難所に収容され不安な夜を過ごしたそうです。

避難所はどんなところ?

避難所ではさしあたっては危険がないところです。避難されてきた方々がたくさんいらっしゃいます。

しかし住み慣れた我が家ではないので、精神的に参ってしまったり眠れなかったり血圧が上がったりといつもと違った体調不良を起こしてしまいますね。

食べ物も善意でいただくことはできますが、小さいお子さんなどの栄養バランスなどは心配ですね。眠ることに関しては硬い床の上や板などの寝たことのない環境下に置かれてしまいます。それだけでも辛く感じてしまいます。周りには見知らぬ方々がたくさんいらっしゃるので気になって眠れませんよね。

避難所での医療活動

私たちDMATは災害現場での瓦礫の下だけが活動する場所ではありません。このような避難所でも医療支援を行います。

避難所でも当然のごとく持病が悪化したり怪我をした方が来る場合があります。そんな時もトリアージをして医師と共に医療行為を行います。早急にもっと医療が介入しないといけない場合は医療機関への搬送も行います。

参考:災害時に大活躍するDMATの話【DMATになるためには】

被災地でDMATはどう過ごすのか?活動内容について

DMATが被災地へ赴き待機したり支援活動がない場合どのようにして現場で過ごしているでしょうか?当然遊んでいる暇はありません。

現場での情報収集をしたり資機材の確認をしたりDMATカーの整備点検、本部と綿密な連絡、自院への状況報告、食事や睡眠もとります。自分たちが食べる食料は自分たちで持参します。

着替えや水その他自分がいつも使っていて必要なものは全て自分たちで用意するのが原則です。DMATは自己完結型のチームです。期限付きとはいえ自分たちで赴き自分たちで去っていくこれもチーム活動のひとつなのです。

大洪水が発生した時

大雨を降らせていたのはテレビで知っていました。その時は鬼怒川もまだ決壊をしていない時でした。

「早くこの雨が止まないと今度連休があるのに出かけられないじゃないか」

そんなお気楽モードでした。

大雨が気になって眠れないでいるとこの雨の影響で鬼怒川が決壊したことがニュースで飛び込んできました。

その近隣が浸水し家屋が壊されたり流されたり消防や自衛隊、警察の救助隊までも救助にあたっていました。

「これはただ事ではないぞ」と自分の中でスイッチが入りました。

翌日自分の携帯電話、パソコンのメールに我がチームに待機命令が出ました。

その日は夜勤明けでしたのでそのまま院内に残り装備の点検や家族への連絡自分の荷物の点検など忙しくなりたのメンバーも病院に集まりDMATカーの点検やガソリンの補給など忙しくなってきました。

いつでもすぐに出場できるようにユニホームに着替えて厚生労働省保健局からの連絡を待ちました。一次隊が茨城に近い栃木からのチームが派遣され二次隊に我がチームが候補になりましたが一次隊の派遣だけで収束してしまいました。

どのチームも被災した方々や救難や救助に参加している方々の医療支援に力を発揮しよう!助けを求めている方々を助けよう!こんな強い気持ちを持っていたに違いありません。

今でもどんな時でもそれらの気持ちは変わることがないことを再認識した出来事でした。