今の私にとって看護師という仕事はもう体の一部というか、生きていくことそのものです。
看護師という仕事を取ってしまったら、抜け殻同然です。
しかしここまでの境地に達するまでには大変な苦労と経験を積んできました。またくじけそうになったり挫折しそうになったり嫌なこと(いじめ)などたくさんのことを乗り越えてきたからです。
どんな看護師像を目指したら良いのか、どの方向に看護師として進んでいけば良いのか模索したこともありました。
今回はそんな私の経験についてお話ししたいと思います。これから看護師を目指す人もまだ新人と呼ばれている看護師さんたちの参考になればまたお役に立てれば嬉しいです。
看護師の将来の目標について
あなたは今どんな職場に勤務していますか?どんな病院や職場に看護師として勤務したいと思っていますか?
多くの方はまだ、考え中の方が多いと思います。
将来なりたい夢として看護師を目指す、夢を叶えてなったのはいいけれど、細分化され、専門が沢山ある中で、自分の目指したい道はなかなか定まらないことが多いですね。私もその一人でした。目先のことだけにとらわれて転職を繰り返しやっと今の自分にたどり着いたのは最近のことですから。
でも私も本当に自分の目標を見出せたのはあることがきっかけでした。
看護師としての目標を見いだせた出来事について
当時私は、ICUや救急外来など急性期の病院や部署しか勤務したことがなく、老人病院や慢性期の部署などはほとんど経験がなく、バイト程度の勤務経験はありませんでした。
自分は急性期の病院や部署が好きだし、この方向性で看護師として生きていこうと思いました。
ですが、都内のある病院のERで勤務していた時、東日本大震災が起きました。
幸い勤務先周辺では大きな建物の倒壊や大勢のけが人や病院も震災の影響は受けませんでした。
しかし、東北地方の様子がテレビ、ラジオ、新聞などで報じられそのたびに居ても立っても居られない思いになってしまいました。「自分にできることはないか?役に立てることができないだろうか?」と思うようになりました。
しばらくしてあるボランティア団体から後方での医療支援の話が舞い込んできました。飛びついたのは言うまでもありません。しかし常勤として勤務していたので、仕事を数日休まなければならず悩みましたが当時の師長に相談しました。
ところが「何もあなたが行かなくても誰かがやるからいいんじゃないの?許可は病院としてはできないし災害の知識や対応についての知識や技術がなくただ単に正義感で行くことは大変危険だと思う」。
その言葉に言い返す事も出来ず合致している部分もあったので深く傷ついたのをよく覚えています。
DMATを目指す
それから自分の方向性を決めるのは早かったです。
「救急がやりたい、これからまだ大規模な災害が起きるかもしれない、そんな時に役にたつ看護師になりたい」と強く思いました。
その後、DMAT(災害が発生した時に派遣されるチームで機動性があり特別な訓練を受けた医療派遣チーム)の出会いはしばらくしてからでした。災害に強い救急にも特化している病院に転職しよう!これが自分の生きていく道だからということが見出されたのです。
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そして縁あって現在の病院に勤務することができ、救急部門に勤務しながらDMATの要請を受講して晴れて隊員になれたことを誇りに思っています。大規模災害が起きれば臆することなく誰かのために飛び込んでいくつもりです。救急の仕事も大変です。今まで以上に忙しい部署ですが毎日楽しく充実感にあふれています。これが私の今の看護師像であり理想です。
自分の将来を考えた時、また、それを見いだすことができるきっかけは本当に些細なことです。看護学校で勉強中にあるいは臨床実習中に見つかるかもしれません。現在看護師として勤務されている方も同様です。看護師として従事している限りは現状に満足することなく、将来を考えてみてはいかがでしょうか?