看護師としてのキャリアアップを成功させるためのブログ

ER看護師ブログ

ツイッターやブログを読んでいただいている方にはおなじみのヨッシーです。

初めてきて頂いた方々へ。

初めましてER看護師のヨッシーといいます。

改めて私のことをご紹介させて頂きます。

なぜなら私の事をたくさん知って頂き、少しでもみなさんの何かに役立ちたいからです。

以前から私の事をご存知の方にとっては重複してしまうかもしれませんがお許しくださいね。

初めての方はこれを機会にヨッシーの事知って頂き、ヨッシーのこと応援していただけたらこんなに嬉しいことはありません。

どうぞよろしくお願いいたします。そして最後までお付き合いくださいね!

自己紹介

次に私がどんな仕事をしていてどんな人物なのか?簡単ですが自己紹介をさせて頂きます。

年齢は秘密ですが昭和生まれです。性別はツイッターの写真を見てご想像ください(笑)

Twitterはこちら

職業は看護師をしています。

何回か転職をし首都圏のある病院の北米型のERに勤務して日夜奮闘しています。

趣味はというと飼い犬と家でたわむれること、寝ること食べる(何でも食べますがセロリとアボガドが嫌いです)ことそれとライセンスフリーの無線(市民無線、特小、デジタル簡易無線)が趣味です。

若い頃はスポーツタイプの車ばかり乗り継いでブイブイ言わせて走り回っていました。

もう時効なのでバラしてしまいますが70スープラでブーストアップ、リムの広いワイドタイヤ履いてもちろんエンジンや足回りに手を入れてスピードが出るような仕様にしたところ峠で走り屋と間違われて白バイに追いかけられたことなど数々の伝説?を持っています。

意外だったでしょう?

それが今看護師という仕事をしているのがすごく不思議でたまりません。

そしてもう一つ肩書きを持っています。

私の真髄と言っても過言ではありません。

私は日本DMATの隊員でもあります。

ではなぜ今のヨッシーがあるのか?なぜこの仕事についているのか?

詳しくみなさんに知って頂けたら嬉しいです。

ヨッシーが看護師になったきっかけとは?

私が二十歳の時に父が食道癌で亡くなりました。

埼玉のある大きな大学病院に入院していて、そこで半年間の闘病生活を送り旅立ちました。

その頃、私は実家から離れて暮らしていて看護とはかけ離れた学校に行っていました。

お見舞いに訪れている間に病院の仕事は大変だなあ忙しそうだなあと漠然としか感じていませんでした。

そして父の死後しばらくして会社勤めをしていましたが、肌が合わず半年で退職し、オートバイ屋さんでアルバイトをしていました。

そこのお客さんで臨床検査技師の方がいて

「同じアルバイトをするならうちの病院で働いてみない?」

と言われ、最初はレントゲン室の助手業務から始まり翌年に

「准看護師の学校に行ってみないか?」

と勧められそこからヨッシーの看護師人生が始まりました。

私が看護師となったきっかけ、これから看護師を目指す人や新人看護師におくるメッセージ

准看護師になったのはいいけれど・・・

当時は深刻な看護師不足でした。

准看護師とはいえ、右も左も分からないのにいきなり現場に出されてしかも誰も教えてはくれません。

足手まといになることが多く、出来の悪い新人とレッテルを貼られてしまいました。

そこから猛烈ないじめに会い、この仕事を何回も辞めようと考えたのは数え切れないくらいです。

でも辞めませんでした。

出来ないレッテルを貼られたままでは悔しくて悔しくて仕方なかったからです。

勉強して誰よりも早く出勤して現場を覚えて仕事を覚えました。

やがて出来ない奴というレッテルはいつのまにか取れてなくなりました。

関連記事:看護師を辞めたくなった時はどうすればいい?ER看護師の私が辛い時を乗り切った方法

准看護師から看護師へそして自分の天地を求めて

准看護師としてしばらく働いた後看護師の資格を取得するために2年間学校に通い卒業して国家試験を合格し晴れて看護師になることができました。

文章にしてしまえば簡単なのですがそこでもまた血がにじむような出来事がたくさんありました。

転職を何回か繰り返し経験も積んで現在の病院に落ち着きました。

私がDMAT隊員になれた経緯とは?

冒頭でもお話しいたしましたが、私はもう一つ肩書きを持っています。

それが日本DMAT隊員です。

この資格を取得する前なんとなく知っていてどのようにしたらなれるのか?聞いた覚えがあります。

記憶にあるのは個人では養成講習は受けれませんという連絡をもらった事くらいです。

それからは特にDMATに関心をもたずに日常生活を送っていました。

ヨッシーの全てを変えた東日本大震災 〜私がDMATを目指した経緯〜

東日本大震災があった頃私は前の病院のERに勤務していました。

その日は夜勤明けで入浴をしていた所でした。

少し揺れたかなあと思っていた所へ揺れが大きくなり急いで脱ぎ捨てた洋服を着てリビングにいる犬二匹と猫一匹を抱きかかえながら庭へと避難しました。

電柱が振り子のように車がまるでダンスをしているかのように揺れていて、恐怖心が突然体全体に覆いかぶさってきたのをよく覚えています。

一旦、揺れが収まったので、別に住んでいる家族のことが心配で携帯電話や家電、メールをしてみましたが全然つながりませんでした。

しばらくして復旧し、皆無事であることがわかりホッとしました。

被災者のために。でも何もできない葛藤の日々

電車やバスなど当日は大きな混乱があり、いまだかつてない麻痺状態がありました。

しかし、日を追うごとに混乱はなくなり、私が住む地域も勤務する病院も大きな被害がなく通常通りになってきました。

テレビやインターネットなどで東北地方にこの地震で大きな大きな被害があったのを知り自分にも何かできることはないか?

看護師として被災者の方々にできることはないか?

模索していた所ある医療団体から被災地に医療支援をという募集を見てこれだ!と応募を病院側と相談しました。

もちろん行くからには有休を使い自己責任でと伝えましたが「何もあなたが行かなくてもいいんじゃないの?」と言われてしまい結局許可は得られませんでした。

仕事をしていてもどうしても被災地、被災者の方々のことが頭から離れずまた現地で働いている方々の事を報道などで見るとじっとしていられなくなりました。

これから看護師としてどうあるべきなのか?

毎日面白おかしく何も考えないで生きてきた私には真剣に考えた初めての時だったかもしれません。

これからは救急と災害医療に携わる看護師になろう!そのためには今いるこの場所ではダメだ!と判断し猛烈な勢いで転職を考えて行動しました。

関連記事:看護師としての将来の目標を決めるきっかけについて【DMATを目指した理由】

転職が成功して願いが叶った瞬間 〜DMAT隊員へ〜

私は転職して現在の病院に勤めています。部署はER。

24時間365日患者さんを受け入れている部署です。

救急車はもちろんのこと自力で来院する患者さんを受け入れています。

災害拠点病院に指定された私たちの病院はDMATを配置しなくてはならなくなりました。

当時救急外来の師長から

「今度、この救急外来からDMAT隊員を選抜することになりましたが救急の先生方からヨッシーさんがいいという声が上がりましたがやってみますか?」

夢にまで見た瞬間です。これで災害時に大手を振って看護師として被災地に赴いて被災者の方々のために看護師として働くことができる!

返事はもちろんYES!です。

ある夏の暑い日が続くなか立川の災害医療センターで養成講習が始まりました。座学に実技、実習と目まぐるしくまた厳しく時間は過ぎて行きます。

最後の日には実技と学科の試験があり合格しなければDMAT隊員にはなれません。

指導教官の話だと毎年不合格になるひとがいるということです。

結果は晴れて合格。DMAT隊員になることができました。

それは終わりではなく始まりです。年間定められた講習や訓練に参加しなくてはならずそれによって技能維持しなければなりません。普段の勤務の合間をぬって参加するので職場の理解や許可も得なければなりません。

職場や職場の仲間に対して感謝の気持ちをわすれたことはありません。

こうしてDMAT隊員、ヨッシーの誕生なのです。

※DMATになれた経緯、転職を成功できた経緯についてはこちらの記事で
私が転職を成功させた方法【ER看護師からDMATになるまでの経緯について】

ER看護師の私がDMAT隊員に選抜されたとき

このブログをご覧になっている皆さんへ

ヨッシーのブログをご覧になって頂きまた興味を持って頂きありがとうございます。

そしていつも応援していただいている方々にも感謝しています。

私のこのブログのモットーは誰にでも楽しくわかりやすくとしています。

もちろん看護師じゃなくたって医療従事者じゃなくたって色々な方々にご覧になって頂きたいです。

看護師という仕事を通じてたくさんのことを発信して行き皆さまのお役に立てたらいいなあというのが最大の目的です。

私はただの看護師にすぎません。大それたことも大きなこともできません。

でも一生懸命勉強して大きな大きな壁とぶつかりめげて泣いたことも悩んだことも数えきれないほどあります。看護師を嫌になって遠ざかろうと考えた日も一度や二度ではありません。

そんなに辛かったのなら辞めてしまえばいいのにと自分自身にも負けそうになりました。

ではなぜヨッシーは看護師を長く続けることができているのでしょうか?

自分でもすごく不思議に思っています。

自分の不甲斐なさや情けなさが悔しくて悔しくてたまらなくなり、それがバネとなってヨッシーという人間をここまで成長させてくれた。

それが看護師という職業です。今だって大変な思いで仕事をしていますが、私はこの仕事が大好きで愛しています。

だからこの職業を看護師という自分に誇りを持ち続けていられるからだと思います。

皆さんも今色々な思いを持って勉強に仕事にあたっていることと思います。

辛いことや悲しいこと、悔しいことがあってめげそうな時ヨッシーの事を思い出してください。このブログを読んで下さい。

それらの思いが吹っ飛んで元気になる事間違いなしですよ。

これからヨッシーがしたい事、目指す事

それは沢山あります。

まずもし災害が発災して派遣が下命されたら被災者の方々のために全力を尽くす事、看護師として患者さんのために尽くす事まだまだ沢山あります。

忘れてはならないのが趣味である無線です。

市民無線、DCR、特小など無線機も買いました。車にもDCRを取り付けモービルとして楽しんでいます。

私が無線を趣味として興味を持つことができたのはDMATの養成講習の一貫としてDCRの取り扱いなどを習いました。その楽しさから趣味に講じてしまい無線機も購入して楽しんでいます。

たくさんの方々と交信して空友(無線を通じて作った友達のこと)を沢山作ること。

プライベートでも充実して生活がしたいと思っています。

まだまだありますよ!

それはヨッシーのブログです。

このブログをもっと今まで以上に充実した内容にして看護師という職業がどのような職業か?この職業は大変だけど素晴らしい職業だと知って頂くことです。

これから看護師を目指そうとしている方、現在看護学生の方、現役で働いている看護師の方達の指針になることが出来ればすごく嬉しいです。

ヨッシーのような看護師になりたい、DMATになりたいという方が出現したら全力で応援する所存です。また大変栄誉な事です。

そんな風になれればと常に思っている事と実現したいという希望を持っています。

それによって少しでも社会貢献が出来ればと思っています。でも簡単なことではないという事を知っています。

そのためにもヨッシー自身は色々な意味で成長しなければなりません。日々の訓練と研鑽が重要になってきます。

だからこれからもヨッシーの応援をよろしくお願いいたします。

まだまだ勉強しなければならないことも沢山あります。教科書や本や各種講習会に参加することは当たり前ですが看護師はどのようなことから学び得る事ができるか?ご存知でしょうか?

患者さんや患者さんの家族からです。

医療や医学は常に進歩しています。時代も進歩しています。しかしいつの時代でも私たち看護師にとって変わらないのは患者さんやその家族です。

患者さんの病気や怪我は誰一人として同じということは全くありません。看護師はそれらのことに対して対応していかなければなりません。それは時代のニーズとなります。

何もできない小さな力かもしれませんが積み重なっていけばいつかは大きなものになると信じています。

難しいことになってきてしまいましたが簡単に言ってしまうと皆さんの役に立てて看護師というのを多くの方々に知って頂きたい。

小さな夢ですが必ず実現したいと心から願っています。

長くなってしまいましたが改めてこれからも応援よろしくお願い致します。

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